たいいくのひ
since November 22th 2012
きのうのこと
お久しぶりになってしまいました。
赤青です。
**********
ドアについたベルをカランと鳴らして入ってきた客は若い女性の二人組で、伸と俺とが向かい合う席の、通路を挟んだ隣に座った。
日曜日の午後の、ケーキの美味しい喫茶店で、伸はさりげなく辺りを見回す。
おそらくは、満席になりそうなら長居はすまいと、伸らしい気を遣ったのだ。
幸いまだいくつか空席がある。
伸もまだ気兼ねしなくてもよさそうだと感じたのか、新しい話題を振り出した。
「どう? 遼との二人暮らしは」
「どうって?」
訊かれた俺は、伸に尋ね返しながら窓の外に視線を移す。
伸はそれには気づかないような振りをして、根掘り葉掘りの心づもりを固めた模様だ。
「なんだかさ、前から遼って、当麻に妙に懐いてるだろう?」
「そうか?」
「そうだよ。あの勢いでルームシェアなんかしたら、当麻の貞操の危機なんじゃないかって、みんな心配してるよ」
ルームシェア。
外向きには、二人暮しはそういう体裁になっている。
家族でもない男が二人、家賃を折半(本当のところは家で寝る日数でだいたい按分して、俺が多く払っている)して一緒に暮らしているのだ。
ルームシェアで、間違いではない。
「アホを抜かせ。みんなって誰だよ。そんなことを考えるのは、お前だけだろう」
そう答えて俺は、手にしていたコーヒーカップに口をつけた。
もう適当に冷めているだろうと思っていた飲みかけのコーヒーが意外にまだ熱くて、カップを落としそうになる。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫だっ」
相変わらず伸の勘は鋭くて焦る。
阿羅醐との戦いのあと、それぞれに故郷に帰った俺たち五人だったが、高校卒業と同時に俺と遼は上京した。
俺は大学生。
遼は専門学校に通いながらも、半ば社会人のような生活をしている。
なけなしの給料から生活費と学費を捻出しなくてはならない貧乏暮らし。
一緒に上京してきたよしみで、部屋数だけはある俺のアパートに、遼が転がり込んだのだ。
すずなぎの一件以降、妖邪の気配は時に濃くなることもあるが、事件が起こるほどでもない。
しかし、遼がどんな影響を受けるのかは俺も心配で、遼と一緒に暮らせるのは、俺の安心でもある。
伸には俺の貞操の心配をされてしまったが。
実は昨日、いささか不穏な出来事があったのだ。
「実は……」
「なになに? 何かあったの?」
単なるルームシェアだと言い切ることに、僅かばかりの躊躇を感じてしまう、理由。
確かに遼の、俺への情は、友情を域を越えているのだ。
昨日。
大きな仕事に一段落ついたらしく、遼は飲んで帰ってきた。
二人でいると、やたらと俺に抱きついてくるのはいつものこと(他に人がいる時でも、さっきの伸の心配が生じるレベルで、二人だと遥かにその上を行く)なのだが、昨日は少し、度が外れていた。
そのままソファに押し倒されて。
キスを、された。
それも、かなり、熱烈なやつを、だ。
「いや、何でもない……」
「何だよ。水臭いなぁ」
伸は、俺の表情(かお)から何かしらを読み取ろうとしながら、ケーキにフォークを入れている。
話すか?
いや、人に話すことじゃないだろう。
しかし、こいつに話せば、俺の貞操は守られる方向に向かうだろうか。
「何なの? 言いたかったら言いなよ。いつでも聴きますよ~」
「いや、やっぱりいい」
俺は慌てて、また窓の外を見る。
雨はまだ降っていない。
遼はもう今日から新しい撮影に入ると言っていた。
夕方まで、持つといい。
「当麻?」
「ん? あ、いや、すまん」
まずい、まずい。
伸に言ってどうなるものでもないだろう。
だいたい、俺は貞操を守りたいのかどうかさえ、よくわからなくなってしまったのだ。
昨日の、キスで。
「やっぱり何かあったんじゃないの? 変な顔してさ」
「何でもないっ」
クリームと削ったチョコレートのたくさんのったケーキに、フォークを入れる。
口に運ぶと、何とも甘い。
「当麻」
「ん?」
「よろしく頼むよ、遼のこと」
「何だよ、それは」
平気なふりができているかどうかは甚だ怪しいところだ。
また、あのキスを思い出す。
俺は拒めなかったのか。
拒まなかったのか。
思い出せばまた、顔の筋肉がおかしな方向に歪むのだ。
伸はそんな俺を軽く鼻先で笑って、ケーキの最後の一口を口へ運んだ。
おわり
赤青です。
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ドアについたベルをカランと鳴らして入ってきた客は若い女性の二人組で、伸と俺とが向かい合う席の、通路を挟んだ隣に座った。
日曜日の午後の、ケーキの美味しい喫茶店で、伸はさりげなく辺りを見回す。
おそらくは、満席になりそうなら長居はすまいと、伸らしい気を遣ったのだ。
幸いまだいくつか空席がある。
伸もまだ気兼ねしなくてもよさそうだと感じたのか、新しい話題を振り出した。
「どう? 遼との二人暮らしは」
「どうって?」
訊かれた俺は、伸に尋ね返しながら窓の外に視線を移す。
伸はそれには気づかないような振りをして、根掘り葉掘りの心づもりを固めた模様だ。
「なんだかさ、前から遼って、当麻に妙に懐いてるだろう?」
「そうか?」
「そうだよ。あの勢いでルームシェアなんかしたら、当麻の貞操の危機なんじゃないかって、みんな心配してるよ」
ルームシェア。
外向きには、二人暮しはそういう体裁になっている。
家族でもない男が二人、家賃を折半(本当のところは家で寝る日数でだいたい按分して、俺が多く払っている)して一緒に暮らしているのだ。
ルームシェアで、間違いではない。
「アホを抜かせ。みんなって誰だよ。そんなことを考えるのは、お前だけだろう」
そう答えて俺は、手にしていたコーヒーカップに口をつけた。
もう適当に冷めているだろうと思っていた飲みかけのコーヒーが意外にまだ熱くて、カップを落としそうになる。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫だっ」
相変わらず伸の勘は鋭くて焦る。
阿羅醐との戦いのあと、それぞれに故郷に帰った俺たち五人だったが、高校卒業と同時に俺と遼は上京した。
俺は大学生。
遼は専門学校に通いながらも、半ば社会人のような生活をしている。
なけなしの給料から生活費と学費を捻出しなくてはならない貧乏暮らし。
一緒に上京してきたよしみで、部屋数だけはある俺のアパートに、遼が転がり込んだのだ。
すずなぎの一件以降、妖邪の気配は時に濃くなることもあるが、事件が起こるほどでもない。
しかし、遼がどんな影響を受けるのかは俺も心配で、遼と一緒に暮らせるのは、俺の安心でもある。
伸には俺の貞操の心配をされてしまったが。
実は昨日、いささか不穏な出来事があったのだ。
「実は……」
「なになに? 何かあったの?」
単なるルームシェアだと言い切ることに、僅かばかりの躊躇を感じてしまう、理由。
確かに遼の、俺への情は、友情を域を越えているのだ。
昨日。
大きな仕事に一段落ついたらしく、遼は飲んで帰ってきた。
二人でいると、やたらと俺に抱きついてくるのはいつものこと(他に人がいる時でも、さっきの伸の心配が生じるレベルで、二人だと遥かにその上を行く)なのだが、昨日は少し、度が外れていた。
そのままソファに押し倒されて。
キスを、された。
それも、かなり、熱烈なやつを、だ。
「いや、何でもない……」
「何だよ。水臭いなぁ」
伸は、俺の表情(かお)から何かしらを読み取ろうとしながら、ケーキにフォークを入れている。
話すか?
いや、人に話すことじゃないだろう。
しかし、こいつに話せば、俺の貞操は守られる方向に向かうだろうか。
「何なの? 言いたかったら言いなよ。いつでも聴きますよ~」
「いや、やっぱりいい」
俺は慌てて、また窓の外を見る。
雨はまだ降っていない。
遼はもう今日から新しい撮影に入ると言っていた。
夕方まで、持つといい。
「当麻?」
「ん? あ、いや、すまん」
まずい、まずい。
伸に言ってどうなるものでもないだろう。
だいたい、俺は貞操を守りたいのかどうかさえ、よくわからなくなってしまったのだ。
昨日の、キスで。
「やっぱり何かあったんじゃないの? 変な顔してさ」
「何でもないっ」
クリームと削ったチョコレートのたくさんのったケーキに、フォークを入れる。
口に運ぶと、何とも甘い。
「当麻」
「ん?」
「よろしく頼むよ、遼のこと」
「何だよ、それは」
平気なふりができているかどうかは甚だ怪しいところだ。
また、あのキスを思い出す。
俺は拒めなかったのか。
拒まなかったのか。
思い出せばまた、顔の筋肉がおかしな方向に歪むのだ。
伸はそんな俺を軽く鼻先で笑って、ケーキの最後の一口を口へ運んだ。
おわり
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