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【115-1】贖罪

閲覧注意。
不倫モノ。
暗いです。







伸から電話があったのは金曜日の夜。
残業を終えて一人暮らしのマンションに帰り、シャワーを浴びて、冷えたビール缶を開けたところだった。

「当麻? うん。……あのね。征士の奥さん、亡くなったんだって」

征士の奥さん。
会ったのはたった一度、三年前の征士の結婚式で。
可愛らしくて小さくて、儚げな女性だった。
言葉を交わしたのも、一言だけ。

「羽柴当麻さんですね。征士さんからお話をよく聞いています」

式の直前。
まだ征士から紹介されてもいないのに、彼女は俺にそう言うと、たいそう可愛らしく微笑んだ。
俺は曖昧な顔で、よろしくだとかおめでとうだとか何とか、返したのだと思う。

可愛らしい奥さんはあの式の後、その晩のうちに倒れて病床の人となった。

「そうか。ここのところ、ずっと悪かったようだったからな」

「そうなんだ。当麻は聞いてたんだね。で、征士に伝えといてって言われたんだけど、明日がお通夜で、明後日が告別式なんだって。秀も遼も連絡がついて、告別式に行こうってことになってるんだけど、当麻はどうする?」

仙台の実家に暮らす征士の仕事は毎月定例の東京への出張があり、そのたびに征士は俺の部屋に泊まって、俺を抱く。
征士の結婚前。学生の頃からずっと続く、近しい仲間たちにも気づかれていない、俺と征士はそういう関係だ。

最近征士から電話があったのは三日前だった。奥さんの容体はいよいよ悪く、征士は仕事を休んでいると言っていた。

「あまり根を詰めすぎるなよ」

「ああ」

征士のことだ。
何もできずに、それでもずっと奥さんの隣についているのが目に浮かぶ。

「家に、帰れるようになるといいな」

俺の口が、そんな台詞を吐く。

「すまない。……声が聞けてよかった」

征士の「すまない」は、誰に、何を謝っているのか。

用がなくとも、週に二度三度とそうやって電話をかけてくるくせに、奥さんの亡くなった知らせは伸を通してか。
軽い落胆と、ほんの少しの怒りと。
そして、そんな選択しかできなかった征士の心境を思いやる。

「俺も、告別式に行くよ。みんなと一緒に」

「そう。わかった。じゃあ、また連絡するね」

「頼む。いつも悪いな」

電話を切って、ため息をつく。
開けてあったビールを一口飲んで、残りをシンクにとぽとぽとこぼした。





遼と秀とは、東京の新幹線ホームで待ち合わせをした。

「征士、相変わらず毎月こっちに来てるのか?」

遼は故郷の山梨をベースに自然を撮る写真家で、最近ではたまに雑誌に作品を見かけることもある。

「そうだな」

三人で並んで座り、仙台までの時間を過ごす。

「征士のヤツ、いっつも当麻んとこに泊まるんだよなぁ。たまには俺ンちに来てもいいのによ」

「秀のうちには家族がいるから気を遣うだろ」

秀のボヤキに、遼が答える。
征士ほど頻繁ではないが、遼も時々東京で仕事があるときは、うちに泊まりにくることがあるのだ。
そういう遼は、秀の家にもたびたび顔を出しているらしいが。

「そうだけどよぉ」

「わが旅籠屋羽柴はビール六本で一泊、他に土産も気兼ねもいらないからな」

「いつも助かってます!」

「うちだって手ぶらで来てくれればいいのになぁ」

「奥さんと子どもがいちゃ、そうはいかんだろう」

高校を出てすぐに横浜の実家の料理店を継いで働いている秀は結婚が早く、もう二人の子どもがいる。

「征士んちも、せめて子どもができればよかったのになぁ……」

車窓に写る建物が、だんだんと低くなる。
征士の奥さんは結婚式の直後に倒れ、子どもどころか、征士と彼女の間には身体の関係が一度もないと聞いた。

「万が一子どもでもできてしまったら、身体に触るからな」

俺には子どもはできないからな、なんていつも茶化していたけれど。

彼女はそれを、本当に望んでいたのだろうか。
第一それは俺を抱く征士の口から聞かされたことで、真実はどうだかわからないのだが。

( どっちだったとしても、俺には関係のないことだ )

仙台駅で、空路でやってきた伸と合流して、タクシーで葬儀場へと向かう。

「あれから、三年も経ったんだね。ついこの間みたいだけど」

征士の結婚式のときも、俺達は四人でこうして仙台駅からタクシーに乗った。

「そうだな。そういえばあのとき、伸は征士のすぐ後に続くようなことを言ってなかったか?」

助手席に座った遼の問いに、伸は俺の隣で肩をすくめた。

「すったもんだしたんだけど、結局ダメだったんだ。良い家のお嬢さんで、婿を取らなくちゃならなくて。僕もそう簡単に家を出るわけにはいかなくてさ」

「そうかぁ……。由緒ある家は大変だなぁ」

秀が目を丸くする。

「まぁ、それはきっかけでね。つまるところ、それを押してまで結婚したい相手じゃなかったってことさ」

「征士とカミさんも、家で決められた許嫁だって言ってたよな」

「そうだな。でも、征士と奥さん、仲は良さそうだったぜ」

遼は仕事で何度かこの近くに来て、征士の家に寄ったことがある。
そのときに撮った、征士と奥さんが仲睦まじく並んだ写真を、俺も遼に見せてもらったことがあった。

征士の隣で微笑む彼女を羨ましいとは思わない。
征士が誰かと結婚しようがすまいが、その席が俺に用意されるわけもないのだし、俺だってそんなことは望んでいないのだから。

( 彼女は、死んだんだ )

ふと、その事実が俺の胸に迫る。
タクシーは静かに会場へと滑り込んだ。



想像していた通り、葬祭場はかなりの人でごった返している。
故人は若いが三年間もの闘病だったこともあり、参列者の表情は悲痛に暮れるというほどのものでもないようだった。
大きな家の葬式だ。
仕事や何かの縁で来ていて、何の感傷も持たない者だって多いのだろう。

「遼」

征士の声だ。
振り向くと喪服に身を包んだ征士が、人混みを抜けてこちらに向かって来るところだった。

「みんな一緒か。遠くまで、わざわざすまなかった」

「大変だったな」

秀が労うと、征士は静かに微笑んだ。
相変わらず綺麗な男だ。
その瞳はいつもの欲に濡れたアメジストではなく、「妻に先立たれ悲しみに沈む藤色」と言ったところだろうか。

「せっかく来てくれたというのに、何もかまえなくてすまない。見送りまでいてやってくれるか」

「もちろんだよ。落ち着いた頃に、また来るから。ね」

伸が言えば、皆が頷く。
俺も一緒に頷いた。
征士は俺と一瞬目を合わせたが、何も言わずにまた人混みへと消えた。

ロビーには、征士と奥さんの結婚式の写真も飾られている。

『羽柴当麻さんですね』

あの声が蘇る。
隣に続く、征士と寄り添う写真の数々。
病をおして、旅行にも出たのだな。
沖縄の海で波と戯れ、笑顔ではしゃぐ写真もあった。

奥さんと肉体関係がないなんて、やっぱり嘘なんじゃないのか。

この期に及んで、考えても仕方のないことが浮かぶ。
どうでもいいことだと、目をつぶる。

「ご参列の一般の方は……」

会場のアナウンスに従って、俺達は式場の列へと加わった。

棺の右側の席には征士のお父さんに征士。その隣のご老人は奥さんの父親だろうか。左側の席の先頭では、征士のお母さんが、おそらく奥さんのお母さんであろうご婦人の肩に手を添えていた。
征士はじっと遺影を見つめていた。
市長をはじめとして、お偉い方の挨拶が続く。
そして家族代表として、征士が立った。

「本日は、妻………の葬儀にご参列いただきまして……」

ただ、征士の声だけが聞こえ、内容はよく頭に入らなかった。

「……生前の妻は……」

いろんなお偉いさんの話や、参列者の噂を総合すれば、立派な家の立派な男に嫁いで、短いながらも幸せな最期であったというのが総評だ。

本当に、そうだったんだろうか。

祭壇の真ん中で微笑む可愛らしい彼女が、こちらを見ている。

『羽柴当麻さんですね』

( 俺は断ったんだ。もう来るなって、何度も言った。だけど征士が勝手に来たんだからな )

参列客の話によれば、昨夜の通夜はこの倍ほどの人出があったとのことだが、それでも儀式の後に全員が焼香を済ませるのに一時間以上かかった。
ほとんどの参列者は帰り、残った近しい者だけで、棺の中に花を入れる。

征士は奥さんに何かを話しかけながら、顔の周りにいくつか花を置いていた。

棺の中で花に埋もれた征士の奥さんは、結婚式で見たときより一回り小さくなっていたが、やはり可愛らしいままだった。

「来てくれて、ありがとう」

いつのまにか隣にいた征士が、小さな声で俺に言った。

「ああ」

物言わぬ彼女の顔を見ながら、返事をした。

( ……ごめん )

彼女の左手の薬指に結婚指輪を見つけ、その隣に、俺は青いカンパニュラの花を置いた。

罪は今、永遠になる。

征士が次にどんな連絡を寄越すのか、俺にはわからない。
征士が来れば迎えるし、来なければ追うことはしないだろう。

どんなことになっても、俺は一生、もう消えることのない罪を背負って生きていく。
それは、俺が自分で選んだこと。

棺と征士を乗せた黒塗りの車が、会場から静かに出発する。

「……行っちまったな」

「そうだな。……せっかくだから俺たち、駅で何か食べて帰らないか」

「そうだね」

車が大通りを見えなくなるまで、俺はただ、黙って見送っていた。





おわり

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