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【011】苦くて甘い…

バレンタインのお話。
緑青です。

拍手

**********


夜九時、少し前。
 
仕事がそれほど忙しくなくて時間が取れる日には、わりと凝った料理を丁寧に作る。
当麻はキッチンで夕食の仕上げにかかっていた。
もうすぐ征士が帰宅する時間だ。
 
今日は二月十四日。
いつにも増して、同居の恋人のために料理の腕も振るいたくなるというもの。
 
キッチンカウンターのすみにはシックな赤い小箱のプレゼント。
中には洋酒の入った大人仕様の小さなチョコレートが四粒入っている。
どんなに甘くないものを選んでも、どのみち征士は一粒しか食べないことは、もう十年以上連れ添っている当麻には想定済みだ。
でも毎年、必ずひとつは食べてくれる。
残りの三粒は当麻のお楽しみ。
だからこそ、一粒が数百円もする超高級チョコレート。
 
数分とたがわずいつもの時刻にマンションの鍵を開ける音がして、ドアが開けられた気配がしたのに、いつものタイミングで征士がダイニングに顔を出さない。
今年の収穫はそんなに多かったのかと、当麻は深い藍色のギャルソンエプロンを外しながら玄関へ向かった。
 
「征士? おかえり」
 
「ただいま。ちょっとドアを開けていてくれ」
 
開かれたままになったドアの隙間からは乾いて冷たい夜の空気が流れ込んでくる。
 
ドアが閉まらないように長い脚を片方ドアに挟んで、征士は大きな段ボールの箱を抱えて入ろうとしているところだった。
 
慌てて駆け寄ってドアを押さえてやると、征士が持っている箱の他に、外通路にはもう二箱、段ボール箱が見えた。
 
「電話くれれば下まで取りに行ったのに」
 
この荷物ではエレベーターのボタンを押すのすら不自由だったろうに。
 
「いや、ここまでは三つ積み重ねて一度に運んでこられたのだ。かさはあるが、そう重くはないからな」
 
征士は手早く残りの二つも玄関に入れ、ドアを閉めた。
 
「…今年はまた凄いな。これ全部チョコレートかよ」
 
積み重ねられた三つの段ボール箱を改めて眺め、当麻は呆れ顔だ。
 
高校の教師になって十余年の征士は、毎年この日には大きな手提げの紙袋にあふれんばかりのチョコレートを持って帰るのだ。
もちろんその中身は綺麗に全て、彼の恋人である当麻のブラックホールのような胃袋へ収まる。
 
それが今年は段ボール箱三つ分だ。
新宿辺りの売れっ子ホストよりたくさんもらっているのではないだろうか、と当麻は思う。
 
三箱の段ボールを今度は玄関から廊下へ運びながら、征士は少しうんざりした表情でぼやく。
 
「今年は『伊達先生にチョコレートを受けとってもらったら恋愛が成就する』という妙な伝説とやらが流行してな」
 
「伝説ねぇ」
 
「まったく、去年までそんなことは一言も聞いたことがなかったのに何が伝説なのかわからんが、全校の女子生徒の、おそらく半分以上が私にチョコレートを持ってきたのだ。願がかかっていると思うと下手に断ることもできん」
 
「へー、大変だなぁ」
 
当麻は素直に同情の相槌を打つ。
 
「おかげで今日はチョコレートを受けとっているだけで一日が終わってしまった。まったく仕事にならん」
 
「まあまあ。それも仕事のひとつじゃあないですか」
 
ねぎらいの気持ちを込めて、当麻は疲れて落ち気味な征士の肩をポンポンと叩く。
 
三箱は征士の実家から送られてきたみかんの箱と一緒に、気温の低い廊下の角にとりあえず置かれた。
 
 
 
 
「…99、…100、…101、………102」
 
夕食を終えると当麻はいそいそと廊下から段ボール箱を運んできて、リビングの床に敷かれたラグの上にあぐらをかき、チョコレートの数を数えはじめる。
 
「うわっ。これすげぇ高いヤツだぜ? 高校生のくせに金あるなー。これは願掛けじゃなくて本命チョコだな」
 
「あ、また手作りあった。手作りは早く食わなくっちゃなー」
 
数えながら、一つ一つの銘柄や賞味期限を素早くチェックし、彼なりの基準で仕分けしているらしい。
三箱が四箱に増えているのを見て、ソファでくつろぐ征士は顔をしかめた。
 
「全部で186個! すげぇなぁ」
 
「予想通り、全女子生徒の六割というところだな。…どうするのだ?」
 
「どうするって?」
 
「さすがのお前でも、これをすべて食べるわけにはいくまい」
 
「そうかなー」
 
大丈夫なんじゃない? と表情で当麻は語る。
食べるつもりでいたらしい。
 
「よせ、病気になるぞ」
 
征士は更に顔をしかめる。
当麻はそのしかめっ面を上目遣いにチラリと見遣って返す。
 
「病気になるのも困るけど、このスレンダーバディが醜く太って、征士が浮気したくなっちゃうと困るなー」
 
言いながら当麻は、どちらかというと細すぎる自分の胴回りを見る。
 
「何を言うか。私はお前が太ろうが痩せようが、浮気などせん」
 
征士は自信たっぷりに断言する。
当麻はつい、そんな征士を茶化したくなる。
 
「どうかなぁ。だって毎日女子高生に囲まれて、チョコだってこんなにもらっちゃうんだぜ?」
 
「これは願掛けだと言っただろう。私を気に入ってのことではないぞ」
 
征士はむきになって返す。
 
「そりゃ大部分はそうなのかもしれないけど、ほら見ろ、これなんか絶対に本命チョコだぞ?」
 
当麻が手にした箱は、手作りらしいトリュフが丁寧にラッピングされていて、カードまで添えてある。
征士はまたぼやく。
 
「だいたい私がチョコレートを受け取ると恋が叶うと言うのなら、そのことと、本命チョコをいくつも受け取ってしまったことと、どう辻褄をつけるのだ。体がいくつあっても足りん」
 
「確かにな! 詰めが甘いな、その伝説は」
 
ははは、と当麻は笑う。
 
「チョコは俺が食べるにしても、手紙の類いは全部目ぇ通せよ。ほら、この箱が本命候補」
 
そう言って当麻は、半分ほど入った段ボールの一箱を、足で征士の方に押しやった。
 
征士はその中から一つ、真っ赤に白い水玉模様の可愛らしい包装紙で包まれた小箱を取り上げると、赤いリボンに挟まれた小さなカードを抜き取った。
 
包みを傍に置くと、カードを開いて文面を見る。
一度軽く目を見開いて、それからフッと目を細めて微笑んだ。
そっとカードを閉じて、さてどこに置いたものかと辺りを見回して、ふと当麻がじっと自分を見つめているのに気づく。
 
「どうした?」
 
「…浮気だ」
 
当麻はラグにあぐらをかいたまま、また上目遣いに征士を見て、ボソリと一言呟いた。
 
「馬鹿な。よく知っている生徒だっただけだ。可愛いものだぞ、ほら」
 
戯言をとまともに取り合わずに、征士は当麻にそのカードを見せようと差し出す。
ところが当麻はすっと視線を横にずらして、拗ねた顔をして受け取ろうとはしない。
 
「征士宛のラブレターなんか見たくない」
 
「大袈裟な。相手は高校生だぞ? 子どもだぞ?」
 
他愛ないことだという余裕な態度の征士と対称に、当麻は口を尖らせる。
 
「征士お前さ、高校生の時、自分のこと子どもだって思ってたか?」
 
「うーん…まぁ、自分ではイッパシのつもりでいたかもしれないな」
 
「今の子たちだってそうだろう?」
 
「んー、そうだな。実際はともかく、自分たちは大人のつもりでいるかもしれん。身体つきはほとんど大人だしな」
 
当麻は征士の顔を覗き込むように見る。
 
「だろ? まして女は怖いぞ? 子どもだなんて甘く見ていると、食われちゃうからな」
 
「心配してくれているのか?」
 
征士はどこか嬉しそうだ。
 
「そりゃあ…」
 
惚れた弱みを握られたような気がして、当麻はきまりが悪そうに横を向く。
 
「では私が、教え子相手に浮気をしたら、お前はどうする?」
 
征士はソファに掛けたまま、両のひじをひざの上において両手をその前で組み、ラグに座り込む当麻の顔をいたずら顔で覗く。
ふと、当麻の表情が消える。
征士の顔をまっすぐ見る。
そして、一言、答えた。
 
「死ぬ」
 
征士はほんの少しだけ、目を大きく見張って驚きを表現する。
すぐには言葉も出てこない。
 
「おいおい、そんなに簡単に死なれては困るな」
 
「簡単じゃねぇよ。俺、征士に愛されてなかったら、生きてる意味ないもん」
 
しれっとまたそんなことを言う当麻に、征士も余裕でばかりいられなくなってくる。
 
「私のいっときの気の迷いでお前に死なれてしまっては、謝ることも、修復することもできないではないか」
 
「謝られても無理だな、修復は。もう俺、ズタズタだから…」
 
当麻は胡坐をほどいて膝を抱えると、その上に顔を伏せた。
焦った征士は慌てて付け加える。
 
「しないぞ? 浮気は」

当麻は膝頭に顔をつけたまま。
 
「でも、…うん、そうだなぁ」
 
そう言って、もう一度顔を上げた当麻は、泣いているような笑っているような、何とも言えない表情で続ける。
 
「やっぱり死なないかもな、俺。征士が俺以外のヤツ好きになっても絶対に認めないで、ここに居座るかもしんない。泣くけどな。いっぱい」
 
当麻はそう言うと膝の上にあごを載せた。
 
征士は少しの間、思案顔をして、手に持っていたカードをまた赤い包みに差し込むと、段ボール箱に戻した。
そして当麻を見て言う。
 
「私もだ、当麻。当麻がもし他の誰かを好きになっても、泣いてすがって、そばに置いてもらう。私の居場所はここにしかないのだから」
 
当麻にしか見せない、柔らかな笑顔で。
思わぬ答えに当麻の頬が染まる。
 
「俺は浮気なんかしないからな、誰かさんと違って!」
 
「何をいうか。いつもテレビを見ては、女優やらアナウンサーにうつつを抜かしているのは、お前ではないか」
 
「あれは浮気じゃないだろう? …あ、そうだ、チョコレート」
 
ちょっと恥ずかしくなったのか、当麻は立ち上がるとダイニングへ行き、カウンターの上から赤い小箱を取って戻ると、征士の隣に座る。
そしてそっぽを向いたまま、ほれ、とその小箱を手渡した。
 
「これは大本命だぜ」
 
征士はそれを受け取る。
この上なく愛おしそうに。
 
「ありがとう。今年は全部食べるよう努力させてもらおう」
 
当麻は驚いて、思わず征士の顔に向き直る。
 
「いや、いいから。半分は俺のためのチョコだから。高いんだぞ? いやいや食べられたんじゃチョコが気の毒だ」
 
そんな当麻の意図など初めからお見通しの征士は、にやにやと笑って当麻をからかう。
 
「気の毒とはなんだ。お前からの大切なチョコレートだ。ありがたくすべていただく」
 
「えー!? ふざけんなよ。俺だって楽しみに…」
 
真顔で抗議する恋人の肩を抱き寄せて、征士はそのうるさい口をキスで塞いだ。
 
二人は絶対に離れない。
 
ちょっと苦くて、うんと甘い夜。
 
 
 
 
 
 
おわり
 
 
**********
 
【あとがき】
 
ウチの征士さんは、敏腕商社マンだったり、美しすぎる高校教師だったりしますが、今回は高校教師で。
ウチの当麻さんは、お勤め研究員だったり、コンピュータ関係の在宅ワークをする人だったりしますが、今回は在宅のようです。

一緒に住んでてラブラブだったら、まぁ別に何でもいいんですけどね!
 
バレンタインのお話はたくさん書きたくて、たくさん書きかけてあるんですけど、書きながら他の方が書かれた素敵なお話を読んでしまうと、自分の作文はなんかちがうなー、覚悟がない、いくらなんでも軽すぎるとか思えて、全部書き直したくなり…。
なかなか進みません(笑)。

それでもあと一つか二つはお送りしたいです。
バレンタイン!
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