たいいくのひ
since November 22th 2012
タンザニア日記2
ムカラ×当麻のつづきです。
**********
九月四日 月曜日
天気、一日中曇り。
気温は体感で、昼は二十度、夜は十五度というところ。
ここ半月ほど、天気はあまり変わらない。
日中は天気がいい日が多いが、たまに今日のように明るく曇っている日もある。
雨は降らない。
タンザニアは公式の情報としては百三十もの民族が数えられているが、ここムカラの村は、そのどの民族とも違う。
遼と征士を追ってここに来る前に調べた情報のどこにも、この村のことは記されていなかった。
言語もよく知られるスワヒリ語とは全く違い、同じ系統の他の言語から推測はできないこともないが、かなり独特だ。
人の住む他の集落からはとても離れていて、道らしき道を車で丸二日は走った後に、道なき道を二日ほど歩いた。
白炎に導かれて来たので来るのは来られたが、今は一人で帰れる気は全くしない。
今日も目を覚ますと、もう日は高くなっていた。
俺が住まわされている住居は部落の外れある。
他の村人の暮らす掘っ建て小屋のような民家に比べると立派な家だ。
日本の感覚でいえば、これもまた掘っ建て小屋ではあるが。
だいたい素っ裸のまま力尽きて寝ているので、起きると布一枚を羽織って、すぐ近くの小川へ行く。
屋敷にはイバダという十二歳(おそらく数え)の少年がいて、俺の付き人のようだ。
家族はいるらしいが、俺の住む家に住み込んでいる。
イバダは俺の後ろをついてきて、川で俺が身体を洗っている間、ずっと黙って待っていた。
屋敷に戻ると、これもイバダが用意するらしい朝飯兼昼飯を、たいていは一人で食べる。
今日は俺の飯を給仕して、部屋を出ようとするイバダを呼び止めた。
言葉は少し通じるようになってきたので、食事の内容を尋ねる。
といっても、毎日さほど変わらない。
何かが混ざっている、味付けして炊いた米と、蒸した魚と、フルーツだ。
こんなものでも、慣れてくると美味く感じるようになってきた。
ムカラはいつもの通り、もう食べて出かけたとのこと。
ムカラは毎日朝早く出かけるらしく、俺が起きた時に家にいたのは、初夜が明けた日の一日だけだった。
あの時は昼過ぎから行われた祝宴で、夕方から公衆の面前で散々に陵辱の憂き目を見たにも関わらず、宴が済み、イバダを伴ってこの家に戻ってからも、寝所で朝までコースだった。
死ぬかと思った。
思えばムカラはアンダーギアなしで、アンダーギア装着どころか、トルーパーの武装時くらいの筋力、体力があるのだ。
嫁に選ばれたのが俺ではなくナリアだったら、命はなかったのではないだろうか。
それとも、ムカラも相手を見て加減をするのだろうか。
それなら俺にももう少し、加減をして欲しいものだ。
とにかく、あの時は翌朝はまだムカラがいて、腰の立たない俺を担いで川へ連れて行って洗い、家へ戻ってイバダの用意した、いつもより少し豪華だった朝食を一緒に食べたのだった。
それ以来、ムカラと朝食を共にしたことはない。
俺が起きないからかもしれないが、わからない。
夕食は家で食べることもあるし、食べない時は外で食べてくるらしい。
ムカラは日中、どこで何をしているのかとイバダに尋ねると、「神様の仕事をしている」と言う。
ムカラには、いくら話しかけても、言葉らしきものが返ってきたことはないので、俺は今のところ、もっぱらイバダから情報を得ているのだ。
夜のあの時だけ、ムカラは俺にブツブツと何かを呟いているが、まだ何を言っているのか聞き取ることはできない。
ムカラは留守なので、俺は今日はイバダと墨汁を作ることにした。
手に入れたインクはとても古く、量も少ないからだ。
油を燃やした煤と、ヤギの油のコラーゲンで墨ができる。
凄い匂いだが、背に腹は替えられない。
イバダは流石、ムカラに仕える子どもだけあって、嫌な顔ひとつしない。
出来た墨汁を瓶に入れた。
そのうち紙も作らなくてはならないかもしれないが、村中からかき集めた紙が尽きる前に、日本へ帰れることを祈る。
それだけで今日は夕方になった。
今日はムカラが家で食事をする日らしく、夕食作りのアファアファというおばさん(彼女は歳を教えてくれないが、五十歳くらいだろうか)が来て、家の前の飯炊き場で飯を作った。
ムカラが食べない日は、イバダだけで俺とイバダの飯を作るのだ。
アファアファは孫が病気だと言っているようだった。
明日はアファアファの家へ、様子を見に行こうと思う。
アファアファは帰り、ムカラが帰ってきて、二人で飯を食った。
イバダは一人で、家の外で食べる。
これもそのうち、一緒に食べないかと誘ってみようと思う。
俺も誰かと会話をしながら飯を食いたいし。
つづく
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九月四日 月曜日
天気、一日中曇り。
気温は体感で、昼は二十度、夜は十五度というところ。
ここ半月ほど、天気はあまり変わらない。
日中は天気がいい日が多いが、たまに今日のように明るく曇っている日もある。
雨は降らない。
タンザニアは公式の情報としては百三十もの民族が数えられているが、ここムカラの村は、そのどの民族とも違う。
遼と征士を追ってここに来る前に調べた情報のどこにも、この村のことは記されていなかった。
言語もよく知られるスワヒリ語とは全く違い、同じ系統の他の言語から推測はできないこともないが、かなり独特だ。
人の住む他の集落からはとても離れていて、道らしき道を車で丸二日は走った後に、道なき道を二日ほど歩いた。
白炎に導かれて来たので来るのは来られたが、今は一人で帰れる気は全くしない。
今日も目を覚ますと、もう日は高くなっていた。
俺が住まわされている住居は部落の外れある。
他の村人の暮らす掘っ建て小屋のような民家に比べると立派な家だ。
日本の感覚でいえば、これもまた掘っ建て小屋ではあるが。
だいたい素っ裸のまま力尽きて寝ているので、起きると布一枚を羽織って、すぐ近くの小川へ行く。
屋敷にはイバダという十二歳(おそらく数え)の少年がいて、俺の付き人のようだ。
家族はいるらしいが、俺の住む家に住み込んでいる。
イバダは俺の後ろをついてきて、川で俺が身体を洗っている間、ずっと黙って待っていた。
屋敷に戻ると、これもイバダが用意するらしい朝飯兼昼飯を、たいていは一人で食べる。
今日は俺の飯を給仕して、部屋を出ようとするイバダを呼び止めた。
言葉は少し通じるようになってきたので、食事の内容を尋ねる。
といっても、毎日さほど変わらない。
何かが混ざっている、味付けして炊いた米と、蒸した魚と、フルーツだ。
こんなものでも、慣れてくると美味く感じるようになってきた。
ムカラはいつもの通り、もう食べて出かけたとのこと。
ムカラは毎日朝早く出かけるらしく、俺が起きた時に家にいたのは、初夜が明けた日の一日だけだった。
あの時は昼過ぎから行われた祝宴で、夕方から公衆の面前で散々に陵辱の憂き目を見たにも関わらず、宴が済み、イバダを伴ってこの家に戻ってからも、寝所で朝までコースだった。
死ぬかと思った。
思えばムカラはアンダーギアなしで、アンダーギア装着どころか、トルーパーの武装時くらいの筋力、体力があるのだ。
嫁に選ばれたのが俺ではなくナリアだったら、命はなかったのではないだろうか。
それとも、ムカラも相手を見て加減をするのだろうか。
それなら俺にももう少し、加減をして欲しいものだ。
とにかく、あの時は翌朝はまだムカラがいて、腰の立たない俺を担いで川へ連れて行って洗い、家へ戻ってイバダの用意した、いつもより少し豪華だった朝食を一緒に食べたのだった。
それ以来、ムカラと朝食を共にしたことはない。
俺が起きないからかもしれないが、わからない。
夕食は家で食べることもあるし、食べない時は外で食べてくるらしい。
ムカラは日中、どこで何をしているのかとイバダに尋ねると、「神様の仕事をしている」と言う。
ムカラには、いくら話しかけても、言葉らしきものが返ってきたことはないので、俺は今のところ、もっぱらイバダから情報を得ているのだ。
夜のあの時だけ、ムカラは俺にブツブツと何かを呟いているが、まだ何を言っているのか聞き取ることはできない。
ムカラは留守なので、俺は今日はイバダと墨汁を作ることにした。
手に入れたインクはとても古く、量も少ないからだ。
油を燃やした煤と、ヤギの油のコラーゲンで墨ができる。
凄い匂いだが、背に腹は替えられない。
イバダは流石、ムカラに仕える子どもだけあって、嫌な顔ひとつしない。
出来た墨汁を瓶に入れた。
そのうち紙も作らなくてはならないかもしれないが、村中からかき集めた紙が尽きる前に、日本へ帰れることを祈る。
それだけで今日は夕方になった。
今日はムカラが家で食事をする日らしく、夕食作りのアファアファというおばさん(彼女は歳を教えてくれないが、五十歳くらいだろうか)が来て、家の前の飯炊き場で飯を作った。
ムカラが食べない日は、イバダだけで俺とイバダの飯を作るのだ。
アファアファは孫が病気だと言っているようだった。
明日はアファアファの家へ、様子を見に行こうと思う。
アファアファは帰り、ムカラが帰ってきて、二人で飯を食った。
イバダは一人で、家の外で食べる。
これもそのうち、一緒に食べないかと誘ってみようと思う。
俺も誰かと会話をしながら飯を食いたいし。
つづく
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