たいいくのひ
since November 22th 2012
【125】指輪 2021
2021年、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
征当です。
*****
満員電車とまではいかないが、金曜夜の下り電車は座れるはずもなく。
仕事帰りの当麻は吊革につかまり、一週間分溜まった疲労と、来週へ積み残した仕事への気がかりとに、今週もなんとか業務を終えた安堵を混ぜた気だるさに身を任せていた。
濃紺のピーコートのポケットに突っ込んだスマートホンが身震いする。
取り出して見れば、LINEのメッセージ。
ちらりと窓の外に目をやって、降りる駅まであと三駅あることを確認してから、画面を切り替える。
便りの主は秀。
『これオマエのだろ』
短いテキストに、画像がついている。
指輪の写真だ。
シンプルなデザインの鈍い銀色の男物の指輪の内側に、刻印が見える。
10 Oct.2000 Seiji to Touma…
「はぁ!?」
思わず漏れる上擦った当麻の声に、隣の学生風が一瞬、目を向ける。
電車がカーブに差し掛かり、一揺れ揺れる。
当麻は左手で吊革を掴んだまま、右手の親指で返信を綴る。
『何だこれ』
これ以上の言葉は続かなかった。
当麻はもう一度、まじまじと画像を見た。
映っているのは、確かに当麻の指輪だ。
二十年前、西暦二千年のあの日、征士から贈られた約束の指輪。
そして先月一人で出かけた沖縄で、確かに…………確かに、自分で海に投げ込んだものだ。
二十余年、ずっと東京で勤務していた征士に下された転勤命令。
行先は仙台。
同時に、最近は途絶えていた見合い結婚の話が、征士の実家から舞い込んだ。
「……私は、どうしたらいいだろうか」
二人でよく行く居酒屋で、いつもの日本酒を傾けながら征士はそう、当麻に訊ねた。
征士に少しでも迷う余地があるのなら、帰った方がいい。
それが、当麻が出した結論だった。
「これで終わりにしよう。お前は実家に帰って結婚し、家を継げ」
そう征士に告げて別れたあの夜から、連絡はとっていない。
征士はもう転勤で東京を離れ、仙台に帰っている頃だろう。
(俺はもう、十分にいい思いをさせてもらったのだ)
一緒に暮らしこそしなかったが、生涯の相手だとの約束のもとに逢瀬を重ねた二十年。
愛し合った記憶があれば生きていける。
そう、自分に言い聞かせて。
『お前のだろー』
『征士とケンカしたのか?』
メッセージが二通とウシシと笑う牛のスタンプが立て続けに表示される。
『だから、この写真はどうしたと聞いている』
当麻は苛々と、スマホの画面に人差し指の先を滑らせる。
『ツイッターで回ってきた
当麻お前、有名人だぞ』
当麻は鼻から大きく一息つくと既読スルーを決め、「秀」と銘打たれたトークルームを閉じた。
それからツイッターの画面に切り替え、検索する。
指輪、刻印された名前、それからくだんの砂浜の名前……。
あった。
『【拡散希望】△△海岸で、流木と一緒に打ち上げられていました。10 Oct.2000 Seiji to Toumaの刻印。結婚指輪だと思う。落として困っているトウマさんに、この情報が届きますように』
「届いたよ……」
つぶやいた途端、電車の扉が閉まる音に気づく。
乗り過ごしだ。
次の駅でまた扉が開き、当麻はホームに降りた。
沖に向かって思い切り投げたのに。
何がどうなると、あんな小さくて重いものが、浜辺に戻ってしまうというのだろう。
隣のホームに渡る階段を上がる足が重い。
人の流れから外れて、階段を降りる。
上りのホームは電車が出たばかりなのか、人はまばらだ。
当麻はマフラーを巻き直し、またツイッターの画面を開いた。
この指輪を拾ってくれた人物に連絡を取ろう。
とにかく指輪の主が見つかったことにしてもらわなければ、あの情報が延々と世の中を回ることになってしまう。
当麻はツイッターのダイレクトメールで発信元の若い女性だと思われる人物に自分が指輪の持ち主である旨を送ると、スマホをポケットに突っ込んだ。
ホームの屋根と屋根の間から、細い月と星が見える。
一分もせずに、スマホが震える。
当麻は画面を開いて目を丸くした。
三日前に違うアカウントから連絡があり、指輪を預けた交番を伝えたとのこと。
「あんな中古の指輪を、誰がどうしようっていうんだ?」
どこにあろうが、誰が持とうがもう関係のないことなのに、胸がざわめく。
上りの電車がホームに入ってきた。
当麻は乗り込み、立ったままくだんの拡散希望メッセージについたリプライを眺めた。
『持ち主さんに届くといいですね。拡散します』
『まずは大切なものが見つかってよかった!ご本人に情報よ届けー!』
『セイジさんとトウマさんって、両方男性名? もしかしてリアルおっさんずラブかも? 素敵(๑σωσ๑)♡』
「……素敵なもんか」
当麻は小さく言い捨てた。
ようやくほんの少し塞がりかけていた傷が、また疼く。
ガラガラの上り電車は、当麻の住まいの最寄り駅につき、扉が開く。
強い北風が車内に吹き込むのと入れ替わりに、当麻はホームへ降りた。
自分で捨てたはずなのに、指輪の行方が気になるのは。
「未練だな」
しかし、もうどうすることもできないのだ。
当麻は足早に階段を上り、改札へと向かう。
その時。
当麻は立ち止まった。
と同時に、改札の外に立っていた、トレンチコートのやけに目立つ美形な中年男が、立ち尽くす当麻を見つけた。
「当麻!!」
周囲の視線が当麻に集まる。
当麻はどんな顔をしたらいいのかわからないままに、スマホをかざして改札を出た。
「当麻、上り電車で来たのか」
征士は駆け寄ってきて、駅の出口へと急ぐ当麻の隣を歩く。
「……ああ、ちょっと乗り過ごしてな。お前……これ!」
皮の手袋をした征士の手のひらには、内側に刻印の入った銀のリングが鈍く輝く。
階段の降り口で、当麻は驚いて足を止めた。
「沖縄で落としただろう。行って、取り戻してきたのだ。伸が情報をくれてな。当麻……」
征士は自分の手袋を急いで外すと当麻の左手をとり、薬指にそのリングをはめた。
「当麻。仙台には帰らない。私とやり直して欲しい」
仕事帰りの人々が、二人を見ながら通り過ぎていく。
当麻は目頭に込み上げて来るものをぐっと堪えて、揃いの指輪が光る征士の手を握った。
おわり
今年もよろしくお願いいたします。
征当です。
*****
満員電車とまではいかないが、金曜夜の下り電車は座れるはずもなく。
仕事帰りの当麻は吊革につかまり、一週間分溜まった疲労と、来週へ積み残した仕事への気がかりとに、今週もなんとか業務を終えた安堵を混ぜた気だるさに身を任せていた。
濃紺のピーコートのポケットに突っ込んだスマートホンが身震いする。
取り出して見れば、LINEのメッセージ。
ちらりと窓の外に目をやって、降りる駅まであと三駅あることを確認してから、画面を切り替える。
便りの主は秀。
『これオマエのだろ』
短いテキストに、画像がついている。
指輪の写真だ。
シンプルなデザインの鈍い銀色の男物の指輪の内側に、刻印が見える。
10 Oct.2000 Seiji to Touma…
「はぁ!?」
思わず漏れる上擦った当麻の声に、隣の学生風が一瞬、目を向ける。
電車がカーブに差し掛かり、一揺れ揺れる。
当麻は左手で吊革を掴んだまま、右手の親指で返信を綴る。
『何だこれ』
これ以上の言葉は続かなかった。
当麻はもう一度、まじまじと画像を見た。
映っているのは、確かに当麻の指輪だ。
二十年前、西暦二千年のあの日、征士から贈られた約束の指輪。
そして先月一人で出かけた沖縄で、確かに…………確かに、自分で海に投げ込んだものだ。
二十余年、ずっと東京で勤務していた征士に下された転勤命令。
行先は仙台。
同時に、最近は途絶えていた見合い結婚の話が、征士の実家から舞い込んだ。
「……私は、どうしたらいいだろうか」
二人でよく行く居酒屋で、いつもの日本酒を傾けながら征士はそう、当麻に訊ねた。
征士に少しでも迷う余地があるのなら、帰った方がいい。
それが、当麻が出した結論だった。
「これで終わりにしよう。お前は実家に帰って結婚し、家を継げ」
そう征士に告げて別れたあの夜から、連絡はとっていない。
征士はもう転勤で東京を離れ、仙台に帰っている頃だろう。
(俺はもう、十分にいい思いをさせてもらったのだ)
一緒に暮らしこそしなかったが、生涯の相手だとの約束のもとに逢瀬を重ねた二十年。
愛し合った記憶があれば生きていける。
そう、自分に言い聞かせて。
『お前のだろー』
『征士とケンカしたのか?』
メッセージが二通とウシシと笑う牛のスタンプが立て続けに表示される。
『だから、この写真はどうしたと聞いている』
当麻は苛々と、スマホの画面に人差し指の先を滑らせる。
『ツイッターで回ってきた
当麻お前、有名人だぞ』
当麻は鼻から大きく一息つくと既読スルーを決め、「秀」と銘打たれたトークルームを閉じた。
それからツイッターの画面に切り替え、検索する。
指輪、刻印された名前、それからくだんの砂浜の名前……。
あった。
『【拡散希望】△△海岸で、流木と一緒に打ち上げられていました。10 Oct.2000 Seiji to Toumaの刻印。結婚指輪だと思う。落として困っているトウマさんに、この情報が届きますように』
「届いたよ……」
つぶやいた途端、電車の扉が閉まる音に気づく。
乗り過ごしだ。
次の駅でまた扉が開き、当麻はホームに降りた。
沖に向かって思い切り投げたのに。
何がどうなると、あんな小さくて重いものが、浜辺に戻ってしまうというのだろう。
隣のホームに渡る階段を上がる足が重い。
人の流れから外れて、階段を降りる。
上りのホームは電車が出たばかりなのか、人はまばらだ。
当麻はマフラーを巻き直し、またツイッターの画面を開いた。
この指輪を拾ってくれた人物に連絡を取ろう。
とにかく指輪の主が見つかったことにしてもらわなければ、あの情報が延々と世の中を回ることになってしまう。
当麻はツイッターのダイレクトメールで発信元の若い女性だと思われる人物に自分が指輪の持ち主である旨を送ると、スマホをポケットに突っ込んだ。
ホームの屋根と屋根の間から、細い月と星が見える。
一分もせずに、スマホが震える。
当麻は画面を開いて目を丸くした。
三日前に違うアカウントから連絡があり、指輪を預けた交番を伝えたとのこと。
「あんな中古の指輪を、誰がどうしようっていうんだ?」
どこにあろうが、誰が持とうがもう関係のないことなのに、胸がざわめく。
上りの電車がホームに入ってきた。
当麻は乗り込み、立ったままくだんの拡散希望メッセージについたリプライを眺めた。
『持ち主さんに届くといいですね。拡散します』
『まずは大切なものが見つかってよかった!ご本人に情報よ届けー!』
『セイジさんとトウマさんって、両方男性名? もしかしてリアルおっさんずラブかも? 素敵(๑σωσ๑)♡』
「……素敵なもんか」
当麻は小さく言い捨てた。
ようやくほんの少し塞がりかけていた傷が、また疼く。
ガラガラの上り電車は、当麻の住まいの最寄り駅につき、扉が開く。
強い北風が車内に吹き込むのと入れ替わりに、当麻はホームへ降りた。
自分で捨てたはずなのに、指輪の行方が気になるのは。
「未練だな」
しかし、もうどうすることもできないのだ。
当麻は足早に階段を上り、改札へと向かう。
その時。
当麻は立ち止まった。
と同時に、改札の外に立っていた、トレンチコートのやけに目立つ美形な中年男が、立ち尽くす当麻を見つけた。
「当麻!!」
周囲の視線が当麻に集まる。
当麻はどんな顔をしたらいいのかわからないままに、スマホをかざして改札を出た。
「当麻、上り電車で来たのか」
征士は駆け寄ってきて、駅の出口へと急ぐ当麻の隣を歩く。
「……ああ、ちょっと乗り過ごしてな。お前……これ!」
皮の手袋をした征士の手のひらには、内側に刻印の入った銀のリングが鈍く輝く。
階段の降り口で、当麻は驚いて足を止めた。
「沖縄で落としただろう。行って、取り戻してきたのだ。伸が情報をくれてな。当麻……」
征士は自分の手袋を急いで外すと当麻の左手をとり、薬指にそのリングをはめた。
「当麻。仙台には帰らない。私とやり直して欲しい」
仕事帰りの人々が、二人を見ながら通り過ぎていく。
当麻は目頭に込み上げて来るものをぐっと堪えて、揃いの指輪が光る征士の手を握った。
おわり
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