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【110】三日後の月

六月九日。お誕生日おめでとうございます\(≧∇≦)/



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当麻から私の携帯電話に連絡があったのは、三日前の夜のことだった。

「もしもし?」

「当麻か」

よくすぐにわかるな、と帰ってくる当麻の笑い声。
確かに半年振りだが、わからないはずがない。
もう何年も彼に対して、実るあてのない片恋を募らせているのだから。
実家に戻るようにという親族の願いを無視して東京に職を求めたのも、当麻と共にありたいから。
当麻には事あるごとに何度も何度も共に人生を歩みたいと伝えてきたが、その都度はぐらかされてきた。
会いたいと連絡をしても、会えるどころか日本にいればいい方で、ここ数年は海外に行ったっきり、ごくたまにあまり要領の得ない短い電話、たまに風景写真と署名だけの葉書が届くのがいいところだ。

「今度の土曜日、あいてるか?」

「土曜日?」

そのときまだ職場にいた私は、職員室の入口のドアの上に一年分が見えるように貼り付けてあるカレンダーから、今日の日付の辺りを探した。
土曜日は、九日。

「先約があるならいいんだ」

「いや」

机の上の、仕事のスケジュールを記したノートをめくる。
この週末は、いつもの通りに土曜も日曜も午前中に部活の指導が入っている。
その他に私的な予定はないはずだ。

「午後からなら」

「午前中はバレーボールか、相変わらず」

当麻が茶化す。

「そうだ」

私も笑って答える。
昨年から赴任した中学校には剣道部がなく、私はバレーボール部の指導にあたっているのだ。
私は席を立ち、電話を持ったまま暗い廊下へ出た。
昼間は天気が良く夏のように暑かったが、夕方から気温は下がってきたようだ。
むき出しの腕に当たる空気がひんやりと湿り気を帯びている。

「じゃあ、土曜日の夕方六時に池袋に来いよ」

「わかった。念のために聞くが、お前に会えるのだな?」

「当たり前だろう。俺、今から出発だから。じゃ、また」

電話は切られた。
窓の外に見える中庭にしつらえられた池に、まん丸ではない、少し頼りない今夜の月が映し出されている。
一体当麻は今、どこにいるのだろう。
地球のどこかで、今、同じ月を見ているのだろうか。




池袋の駅からつながる百貨店の地下にある書店で雑誌をめくっていると、後ろから肩を叩かれた。

「征士」

「当麻」

「よぉ、三年ぶりか」

声が心にジンと響く。
電話とは違う。
確かに目の前に、当麻がいる。

「少し痩せたか? いや、黒くなったのか」

雑誌を棚に戻し、改めて当麻の頭から足先までを眺める。
こんなに日に焼けた当麻を見たのは初めてだった。

「かもな。ここ二年はほとんどずっと外で作業してたから」

「どこにいたのだ」

「うーん、あちこち? 中東とかアフリカとか、たまにアメリカ」

「あちこちにも程がある。今日、日本に帰って来たのか」

「ああ。もう少し余裕で着いて、ホテルをとって落ち着いてから来るつもりだったんだがな。途中でトラブルが二つあってギリギリになっちまった。あ。二つ目のトラブルは、さっき山手線で寝過ごしたんだけど」

わざわざ海外から電話をして店を予約してあるというので、二人並んで地上へと出た。
いつ来ても、まるで七夕祭りのように人が多い。

「蒸し暑いなぁ」

「そうだな」

「もう梅雨入りしたのか?」

「いや、まだではないかな」

人混みを縫うようにしていくらか歩いた角にあるビルの三階に、その店はあった。
純和風な構えで、そこここに剣道の防具が置いてあったり、試合の写真が飾られていたりする。

「すごいな……」

「バレーボール部の顧問のセンセイは、さぞかし剣道に飢えてるんじゃないかと思ってさ。面白いだろ?」

「ああ……」

案内されてテーブルに着くと、しばらくはモニターに映された昨年の実業団大会の試合に見入ってしまった。
料理をつまみながら日本酒を傾け、当麻の土産話や私の仕事のことなどを話し、時間は瞬く間に過ぎていった。
『日本で一緒に暮らしてくれないか』
凝りもなくまた伝えてみようかとも思ったが、楽しい時間に水を差すことになる可能性を考え、今日は言い出さないこととしようと決めた。

締めに、と当麻が店員に何か頼み、頷いた店員が大きな丸いシンプルなケーキと、花とを運んできた。

「誕生日、おめでとう、征士」

「あ」

間抜けなことに私は、この時まで今日が自分の誕生日であることに気づいていなかったのだ。
ケーキにはグリーンとブルーの二本のロウソクが立てられ、それぞれ緑と青の炎を揺らめかせている。
そしてそこには、バラの花のモチーフと一緒に、英語でメッセージが書かれていた。

Seiji.

If you’d still love me,

now I’m yours.

Touma

「これは……」

「俺からの誕生日プレゼントだ。口で言うよりこうした方が恥ずかしくないと思ったんだが、なんだか余計に恥ずかしい……。失敗した」

当麻を見ると、こちらを見もせずに、酔って少し赤らんだ頰を更に赤くさせ、立てかけられた竹刀など眺めている。

「やっぱり俺、お前と一緒にいたくて、日本に帰ってきた。早く食べようぜ。食べたらなくなると思って、わざわざケーキなんかに書いたんだからな」

「待て。写真を撮らせろ」

「あ!アホ!写すんじゃない!残すな!消せ!」

「店で騒ぐんじゃない。見られているぞ」

男二人でこんな大きなケーキなど囲んでいれば、それだけでたいそう人目を集めているのだ。
そんなことも構わずに、当麻はスプーンをケーキに突っ込んだ。

「こら!ちゃんと切って分けんか。行儀の悪い!」

結局写真は撮れぬまま、私も無理やり自分の分を切り分けて食べたが、ほとんどは当麻の腹へと収まった。

「これは当麻から私へのプロポーズだと受け取って構わないか?」

「え?」

当麻がクリームのついた顔でこちらを見る。

「まだ愛しているに決まっている。ホテルなど取らなくていいからな。今夜はうちへ来ればいい」

「お前んちへ? このまま?」

「そうだ。お前は私のものなのだろう?」

「いや、そりゃ、言葉の綾ってものでだな、今のすぐにってわけじゃ……」

「今のすぐにだ。今日が私の誕生日なのだからな。ついでにここは、もちろんお前の奢りなのだろう」

「そりゃそうだけど」

言いかけた当麻を尻目に私はさっさと席を立ち、バラの花を持って店の出口へと急ぐ。

「待てよ!おい!征士!」

「早く着いてこいよ」

支払いのカウンターであたふたしている当麻を置いてビルの外に出る。

夜は更け、風は少し心地よいものに変わっていた。三日後の月はすっかり満ちて、頭の真上にある。
当麻はきっとついてきてくれるだろう。
そう信じて、私は歩き出した。







おわり
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