たいいくのひ
since November 22th 2012
【103】階段
閲覧注意です。
老人です。
片方死んでます。
緑青か青緑か不明。
それでもバッチコーイ!な方だけ、どうぞ。
**********
「世話をかけたな」
「水臭ぇなぁ。いいってことよ。当麻のヤロウ存外、俺様の登場まで先を読んで遺していったのかもしれないぜ? あいつが俺のこと当てにしてくれてたと思えば、それも悪くねぇよ」
「……なるほど、そうかもしれんな」
「じゃあな、征士。まぁ、何かあったらまた呼んでくれ。その足で一人じゃ、ちっと心配だからよ」
「ああ。ありがとう」
足腰の丈夫な秀は、もちろん年齢相応のそれではあるのだが、私から見れば随分と軽い足取りで庭を抜けて行った。
途中二回、振り返って手を振って。
秀の、それでもやはり幾分丸まった背中を、もう何年も人生を共にしてきた杖に両手を預けて見送る。
小さな庭の畑は夏野菜が一通りきれいに片付いて何もない。
これから冬の野菜を植えるのだと、当麻はあれこれ考えていたようだった。
これから寒くなるところで良かった、と考える。
夏場の草取りは、私の足ではとてもとても追いつかない。
助かった。
何もかも、まるで計ったようだ。
私はゆっくりと誰もいない玄関を上がった。
食卓テーブルの上に残された四つの湯のみと書類の束にため息をつく。
保険金の受け取りに必要な書類にいくつもいくつもサインをし、印鑑を押したそれらはすっかり持っていかれてしまった。
ここにあるのは、延々と続いた難解な話の抜け殻だ。
四十で一緒に暮らし始めて数十年、何でも語り合っていたつもりだったのだが、私のまったく知らなかった保険金を遺して、当麻は逝ってしまった。
老人の死因としてはありふれた病名で倒れてから数日、呆気ない最期だった。
男同士身を寄せ合った二人家族で、これまで大した不自由もなく過ごしてきたが、入院、死亡、引き取り、葬儀という、普通の家族なら自動的に流れて行くだろういくつかの当たり前のことをするのに、大変な労力を要した。
それも致し方ないことだ。
「都区内ならどこでもパートナーとして認められる制度があるんだぜ? 越した方が世話がないんじゃないか」
当麻は何度かそんなことを言っていたのだが、都心からいい具合に距離を置いたこの環境が捨てがたく、反対し続けたのは私なのだから。
面倒の総仕上げがこの、保険金の受け取りだった。
受取人が私であることが、当麻本人の意思であることを確認しにきた保険会社の上司の男と部下の女。
後ろ暗いことがあるはずもないのだが、私は秀に応援を頼み、やっとやっと応対した。
豪勢な余生が送れる、というほどでもないが、これから最大限長生きしたとしても、当麻が生きているのと同じくらいの生活ができるだけの、ちょっとした金額。
我が家の家計は同じくらいの額の年金を寄せて成り立っていて、一人になってしまえば生活は今よりは苦しくはなる。
それを心配して遺していったのだろう。
しかしいつ死んだとしてもおかしくはないこの歳になって、この額の保険金が下りる保険とは、いったいどれだけの掛け金を払っていたのやら。
何十年もの時を共にしても、まだまだ知らないこともあったのだなと思えば、どこからか当麻がこちらを見て笑っているような気持ちになる。
秀が持ってきてくれたアルバムやら、私がつけていた家計簿やら、私たちの細く長い生活の記録を見てもらうことで、問題はないようだと判断されたらしい。
彼らの調査によると、当麻は株のやり取りで稼いでいて、その金で保険をかけていたということだ。
まったく。
私だとて、当麻に心配されずとも一人になった時の算段くらいしていたのだ。
それに、当麻を一人で置いて逝った場合の心配だって。
四十に一緒になるまでの当麻の自分を大切にしない自堕落なやり方を、私はまさに数十年かけて改めさせてきた。
こまめに料理をすること。
朝起きて夜は寝る規則正しい生活をすること。
家庭菜園の楽しみは、特に私の足がダメになってからというもの、もっぱら当麻のものになった。
私の名義になっているこの家や土地が、すべて当麻に譲られるようにという遺言も、然るべきところに相談して作ってあった。
「遺言も書き直さねばならんな……」
椅子に掛けてもう一度、書類を見直すべきかと思案したが、ふと気になって廊下を振り返った。
静まり返った短い廊下の先は、左手がさっき上がってきた玄関、右側は二階へと続く階段になっている。
二階には我々の寝室だった部屋と、当麻の本を置いた部屋がある。
大量の本を置くために、わざわざ床を補強する工事までした部屋。
廊下を見上げるために、私はさっき歩いた廊下を戻る。
杖をつく音が、今日は妙に耳に入る気がする。
左側の壁には、この家を中古で買った時に、どうせいつか必要になるからと、当麻が言い出した手すりが片方にだけついている。
そんなものが要るようになるまで、当麻は私とこの家で暮らすつもりなのだと、その時口には出さなかったが、楽しいようなくすぐったいような気分になったことを思い出す。
いつかのためだったその手すりが、なくてはならないものになり、そのうちそれがあろうとも気持ちを冷や冷やとさせながら下りなくてはならないようになった。
そして、あれは何歳になった誕生日だったか。
梅雨に入る前の天気のいい日、二階で布団を干してから下りる最中に、私は迂闊にも足を滑らせた。
階下まであと二、三段のところで油断したのだ。
幸いなことに骨折には至らなかったのは、若い頃の鍛錬の賜物だろうと思う。
しかし強かに腰を打ちつけ、その後数日は横になって過ごさなくてはならなかった。
「誕生日のプレゼントに、反対側にも手すりをつけようか」
などと言い、寝込んだ私を見下ろして、当麻は他人事のように笑っていた。
私が二階に上がるのは眠るための用事だけで、そのためにまた落ちて怪我をするのでは仕方がなかろうと、それを機会に二階に上がること自体をきっぱりと諦めることにした。
一階で客間に使っていた部屋を寝室にかえて。
それからも当麻は二階の自室に上がっていたが、そのうちやはり落ちはしなかったものの肝を冷やしたことが何度かあったようだ。
手すりを増やすなり、階段昇降機のようなものでもつけたらどうかと、今度は私が勧めてみたが、当麻は、
「もういいか、二階は」
と、何とも彼らしくない結論を出した。
老いとはこういうものか。
少しの寂しさとともに、ともに老いていく喜びのようなものも、感じたように思う。
(上ってみよう)
当麻がいなくなってしまった今、急にそんな考えが浮かんだ。
手すりに杖を引っ掛けて置く。
それからゆっくりと少しずつ屈んで、階段の三段目に両手をついた。
そして、次の段に右手を置き直す。
そこから先は掃除の手が届かないため、長年の埃が積もっている。
滑りそうで危険な気もするが、構うものかという蛮勇がどこからか湧いてくる。
痛む足を引き上げ、一歩ずつ慎重に階段を上がっていく。
立って歩いていけないものなら潔くやめてしまおうと決めていたものを。
真ん中のあたりまで上がって大きく一息つく。
そしてまた、手を一つ先の段へと運び、痛む足をゆっくりと伸ばす。
二階に行ったからといって、何があるわけでもないのに。
いつもとは別のところが痛み出す。
普段からしない身体の動きが、と疲れを感じる。
上がりきるところで階段が右手に折れるため、段の狭くなっているところは、更に慎重に手をつき、身体を運び上げる。
左手が二階の床にかかる。
その瞬間、狭いところにかかった右足が滑りそうになる。
何とか、堪える。
そのまま四つ這いで、やっとのことで、全身を二階へ持ち上げた。
上がった先にあるトイレのドアノブに手をかけて何とか立ち上がると、額にうっすら汗をかいていた。
汗をかくほど動いたのも、思えば久しぶりのことだった。
あちこち痛みはするが。
爽快。
こんな感情も、もう長く感じてはいなかった気がする。
そのまま進んで左に折れれば、当麻の部屋。
扉は開いていた。
カーテンの閉まった部屋の中は、わずかに入る陽の光で仄明るい。
棚に入りきらない本は、きれいに積み上がっていて、思いのほか片付いていた。
数年前、最後に見た時には、もっともっと散らかって足の踏み場がなかったのに。
いよいよ上がれなくなりそうになってから、当麻がいくらか片付けたのだろうか。
黙って一人で本を整理する当麻が見えた気がした。
「何もかも、一人で片付けおって」
耳に入った自分のつぶやきに、ふと胸が詰まる。
それでも私は、涙を流すことはしない。
この部屋にも、きっと今背を向けている寝室だった部屋にも、下に下りれば台所にも、庭の畑にも当麻はいる。
泣けばきっと、当麻が悲しむ気がするから。
さて。
上ってしまったのだから、安全に下まで下りなくてはならない。
もう少しだけここにいて、膝の痛みが引いてから戻ろうと、私は埃の積もった安楽椅子に掛ける。
琥珀色の空間に、埃が舞う。
ギィ、という音とともに、また胸に込み上げてくるものをぐっと飲み込んだ。
おわり
老人です。
片方死んでます。
緑青か青緑か不明。
それでもバッチコーイ!な方だけ、どうぞ。
**********
「世話をかけたな」
「水臭ぇなぁ。いいってことよ。当麻のヤロウ存外、俺様の登場まで先を読んで遺していったのかもしれないぜ? あいつが俺のこと当てにしてくれてたと思えば、それも悪くねぇよ」
「……なるほど、そうかもしれんな」
「じゃあな、征士。まぁ、何かあったらまた呼んでくれ。その足で一人じゃ、ちっと心配だからよ」
「ああ。ありがとう」
足腰の丈夫な秀は、もちろん年齢相応のそれではあるのだが、私から見れば随分と軽い足取りで庭を抜けて行った。
途中二回、振り返って手を振って。
秀の、それでもやはり幾分丸まった背中を、もう何年も人生を共にしてきた杖に両手を預けて見送る。
小さな庭の畑は夏野菜が一通りきれいに片付いて何もない。
これから冬の野菜を植えるのだと、当麻はあれこれ考えていたようだった。
これから寒くなるところで良かった、と考える。
夏場の草取りは、私の足ではとてもとても追いつかない。
助かった。
何もかも、まるで計ったようだ。
私はゆっくりと誰もいない玄関を上がった。
食卓テーブルの上に残された四つの湯のみと書類の束にため息をつく。
保険金の受け取りに必要な書類にいくつもいくつもサインをし、印鑑を押したそれらはすっかり持っていかれてしまった。
ここにあるのは、延々と続いた難解な話の抜け殻だ。
四十で一緒に暮らし始めて数十年、何でも語り合っていたつもりだったのだが、私のまったく知らなかった保険金を遺して、当麻は逝ってしまった。
老人の死因としてはありふれた病名で倒れてから数日、呆気ない最期だった。
男同士身を寄せ合った二人家族で、これまで大した不自由もなく過ごしてきたが、入院、死亡、引き取り、葬儀という、普通の家族なら自動的に流れて行くだろういくつかの当たり前のことをするのに、大変な労力を要した。
それも致し方ないことだ。
「都区内ならどこでもパートナーとして認められる制度があるんだぜ? 越した方が世話がないんじゃないか」
当麻は何度かそんなことを言っていたのだが、都心からいい具合に距離を置いたこの環境が捨てがたく、反対し続けたのは私なのだから。
面倒の総仕上げがこの、保険金の受け取りだった。
受取人が私であることが、当麻本人の意思であることを確認しにきた保険会社の上司の男と部下の女。
後ろ暗いことがあるはずもないのだが、私は秀に応援を頼み、やっとやっと応対した。
豪勢な余生が送れる、というほどでもないが、これから最大限長生きしたとしても、当麻が生きているのと同じくらいの生活ができるだけの、ちょっとした金額。
我が家の家計は同じくらいの額の年金を寄せて成り立っていて、一人になってしまえば生活は今よりは苦しくはなる。
それを心配して遺していったのだろう。
しかしいつ死んだとしてもおかしくはないこの歳になって、この額の保険金が下りる保険とは、いったいどれだけの掛け金を払っていたのやら。
何十年もの時を共にしても、まだまだ知らないこともあったのだなと思えば、どこからか当麻がこちらを見て笑っているような気持ちになる。
秀が持ってきてくれたアルバムやら、私がつけていた家計簿やら、私たちの細く長い生活の記録を見てもらうことで、問題はないようだと判断されたらしい。
彼らの調査によると、当麻は株のやり取りで稼いでいて、その金で保険をかけていたということだ。
まったく。
私だとて、当麻に心配されずとも一人になった時の算段くらいしていたのだ。
それに、当麻を一人で置いて逝った場合の心配だって。
四十に一緒になるまでの当麻の自分を大切にしない自堕落なやり方を、私はまさに数十年かけて改めさせてきた。
こまめに料理をすること。
朝起きて夜は寝る規則正しい生活をすること。
家庭菜園の楽しみは、特に私の足がダメになってからというもの、もっぱら当麻のものになった。
私の名義になっているこの家や土地が、すべて当麻に譲られるようにという遺言も、然るべきところに相談して作ってあった。
「遺言も書き直さねばならんな……」
椅子に掛けてもう一度、書類を見直すべきかと思案したが、ふと気になって廊下を振り返った。
静まり返った短い廊下の先は、左手がさっき上がってきた玄関、右側は二階へと続く階段になっている。
二階には我々の寝室だった部屋と、当麻の本を置いた部屋がある。
大量の本を置くために、わざわざ床を補強する工事までした部屋。
廊下を見上げるために、私はさっき歩いた廊下を戻る。
杖をつく音が、今日は妙に耳に入る気がする。
左側の壁には、この家を中古で買った時に、どうせいつか必要になるからと、当麻が言い出した手すりが片方にだけついている。
そんなものが要るようになるまで、当麻は私とこの家で暮らすつもりなのだと、その時口には出さなかったが、楽しいようなくすぐったいような気分になったことを思い出す。
いつかのためだったその手すりが、なくてはならないものになり、そのうちそれがあろうとも気持ちを冷や冷やとさせながら下りなくてはならないようになった。
そして、あれは何歳になった誕生日だったか。
梅雨に入る前の天気のいい日、二階で布団を干してから下りる最中に、私は迂闊にも足を滑らせた。
階下まであと二、三段のところで油断したのだ。
幸いなことに骨折には至らなかったのは、若い頃の鍛錬の賜物だろうと思う。
しかし強かに腰を打ちつけ、その後数日は横になって過ごさなくてはならなかった。
「誕生日のプレゼントに、反対側にも手すりをつけようか」
などと言い、寝込んだ私を見下ろして、当麻は他人事のように笑っていた。
私が二階に上がるのは眠るための用事だけで、そのためにまた落ちて怪我をするのでは仕方がなかろうと、それを機会に二階に上がること自体をきっぱりと諦めることにした。
一階で客間に使っていた部屋を寝室にかえて。
それからも当麻は二階の自室に上がっていたが、そのうちやはり落ちはしなかったものの肝を冷やしたことが何度かあったようだ。
手すりを増やすなり、階段昇降機のようなものでもつけたらどうかと、今度は私が勧めてみたが、当麻は、
「もういいか、二階は」
と、何とも彼らしくない結論を出した。
老いとはこういうものか。
少しの寂しさとともに、ともに老いていく喜びのようなものも、感じたように思う。
(上ってみよう)
当麻がいなくなってしまった今、急にそんな考えが浮かんだ。
手すりに杖を引っ掛けて置く。
それからゆっくりと少しずつ屈んで、階段の三段目に両手をついた。
そして、次の段に右手を置き直す。
そこから先は掃除の手が届かないため、長年の埃が積もっている。
滑りそうで危険な気もするが、構うものかという蛮勇がどこからか湧いてくる。
痛む足を引き上げ、一歩ずつ慎重に階段を上がっていく。
立って歩いていけないものなら潔くやめてしまおうと決めていたものを。
真ん中のあたりまで上がって大きく一息つく。
そしてまた、手を一つ先の段へと運び、痛む足をゆっくりと伸ばす。
二階に行ったからといって、何があるわけでもないのに。
いつもとは別のところが痛み出す。
普段からしない身体の動きが、と疲れを感じる。
上がりきるところで階段が右手に折れるため、段の狭くなっているところは、更に慎重に手をつき、身体を運び上げる。
左手が二階の床にかかる。
その瞬間、狭いところにかかった右足が滑りそうになる。
何とか、堪える。
そのまま四つ這いで、やっとのことで、全身を二階へ持ち上げた。
上がった先にあるトイレのドアノブに手をかけて何とか立ち上がると、額にうっすら汗をかいていた。
汗をかくほど動いたのも、思えば久しぶりのことだった。
あちこち痛みはするが。
爽快。
こんな感情も、もう長く感じてはいなかった気がする。
そのまま進んで左に折れれば、当麻の部屋。
扉は開いていた。
カーテンの閉まった部屋の中は、わずかに入る陽の光で仄明るい。
棚に入りきらない本は、きれいに積み上がっていて、思いのほか片付いていた。
数年前、最後に見た時には、もっともっと散らかって足の踏み場がなかったのに。
いよいよ上がれなくなりそうになってから、当麻がいくらか片付けたのだろうか。
黙って一人で本を整理する当麻が見えた気がした。
「何もかも、一人で片付けおって」
耳に入った自分のつぶやきに、ふと胸が詰まる。
それでも私は、涙を流すことはしない。
この部屋にも、きっと今背を向けている寝室だった部屋にも、下に下りれば台所にも、庭の畑にも当麻はいる。
泣けばきっと、当麻が悲しむ気がするから。
さて。
上ってしまったのだから、安全に下まで下りなくてはならない。
もう少しだけここにいて、膝の痛みが引いてから戻ろうと、私は埃の積もった安楽椅子に掛ける。
琥珀色の空間に、埃が舞う。
ギィ、という音とともに、また胸に込み上げてくるものをぐっと飲み込んだ。
おわり
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