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【095】in N.Y.

何年も前にこちらにおいておいたお話に加筆して、無配にしたり本に入れたりして、またこちらに戻ってきました。
緑青。
ニューヨークの事件の後のお話です。



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**********

「腹減ったなぁ!」

ニューヨークのツインタワーが見下ろす大きな橋の上で、この一週間ほどに起きたできごとについて様々に思いを去来させ佇んでいた五人は、秀の一言で我に返る。

「本当だ。僕達、昨日の夜から飲まず食わずだよ」

沈んだ雰囲気を少しだけ変えようと、伸が静かに笑って同調する。

事件は、終わった。

「征士は? 身体は大丈夫なのか?」

遼が征士を振り返る。
シャツのボタンを一番上まできちんととめ、いつもと変わらぬきちんとした出で立ちで、征士はいつもと変わらない微笑みを返す。

「ありがとう。さすがに秀ほどの食欲はないが、少し何か口にしたい気はする。付き合うことはできそうだ」

「相変わらずタフね、征士は。無理はしないでね」

心配するナスティにも、征士は綺麗に微笑んだ。

「ありがとう、ナスティ」

「大丈夫。食欲なくても美味しい店に連れてくよ!」

秀の叔父が、タクシーを呼んだ。

連れて行かれたのは中華料理店ではなく、静かで落ち着いた雰囲気の、個室が確保された和食のレストランだった。
しかし結局のところ遼と征士はほとんど何も口にしていないのを、そこにいる全員がわかっていた。
わかっていて、誰も無理に勧めない。
目の前でルナを亡くしたことを一番悔やんでいるだろう遼。
自分が罠に掛かったために皆を巻き込んでしまったと、責任を感じているだろう征士。
反対に、そんなできごとがあった直後なのにもかかわらず、自分は腹が減り、ものを食うのだと、当麻は半ば自虐的に考えたりした。
それでも皆一様に今回の事件のことには触れず、和やかにゆっくりとした時間を過ごした。

明日の午前の便で日本への帰途に着くことになっている。
早く休もうと、ホテルへと向かった。



翌日の移動が楽なようにと、秀の叔父が手配してくれたホテルの部屋は、ツインが三部屋とシングルが一部屋。

「私は一人でも、純と一緒でもいいわ。征士は一人と誰かと一緒なのと、どちらがよく休めそうかしら」

「ボクも誰と一緒でもいいよ。一人はちょっと怖いけど……」

そんな純の言葉に、皆が笑う。

「私は……」

征士は言い淀んだ。

「一人じゃない方がいいんじゃねぇの? 一見何でもなさそうに立ってるけど、あんだけの目に遭ってんだ。あちこち怪我だってしてるんだろうしよ」

「そうだね。……征士は当麻と一緒がいいんじゃないのかな。小田原の家でもずっと同室だったし、一番気を遣わないだろう」

そう声を掛けたのは伸で、言われた当麻は征士の顔を見る。
征士は黙っている。

「じゃあボク、遼兄ちゃんと一緒がいいよ。男同士でさ」

純が遼の脇に駆け寄って、遼に手を差し出す。

「そうだな」

差し出された手を遼が繋いで、交渉は成立したらしい。

「それじゃあ、私が一人で部屋を使わせてもらうわね。明日も早いわ。ゆっくり休みましょう」

当麻と征士が何かを言う前にすっかり話はまとまった。
当麻が伸から部屋のキーを受け取った



流れ出る血のように真っ赤に連なる自動車のテールランプを、征士は窓からじっと見下ろしていた。
半裸で椅子に掛けた風呂上がりの肩や背中に細かな傷や拘束の跡が痛々しい。

「風邪ひくぞ」

後からシャワーを浴びた当麻は、やはり征士と同じようにバスタオルを腰に巻きつけ、洗った頭をタオルでゴシゴシと拭きながら征士に声をかけ、そのままどすんとベッドに腰掛けた。

征士は振り返ると立ち上がり、黙って当麻の隣に腰を下ろす。
古そうなベッドはギシリと鈍い音をたてた。

「伸は知っているのだろうか。私たちのことを」

征士の声は、少しかすれている。

「さあね」

当麻が征士の頬に軽く口づけて離れると、征士はその頭を逃がさないように抱いて、口づけた。

ニューヨークに来る前に、二人きりで会ったのはいつだっただろうか。
抱き合った時間は悪夢そのもののような事件を隔てて、もうずっと昔のことだったように、征士には思われた。

「心配した」

長く深い口づけの、ほんの合間に当麻が呟く。
ごく間近から征士を見つめる青い瞳が潤んでいるのは、不安から解放された安堵からか、興奮からなのか。

「悪かった」

征士が短く答えて、また口づける。

「ん……」

征士は唇を離さず、自分が腰のバスタオルを取り去ると、当麻の手をとって勃ち上がった自身に導く。
当麻にそこをしっかりと握らせると、今度は当麻の腰のタオルを暴き、冷たい床に落とした。

どちらからともなくベッドに倒れ込み、お互いのものを弄び、たかめ合う。
口づけは止むことなく、喘ぎ声一つ漏れ出すことを許さない。
征士の指が濡れそぼつ当麻自身を離れ、その奥を弄りだす。

「そこは……ぁ……っ」

当麻は慌てて制止の声を上げたが、征士は唇を当麻の唇から首筋に移動させただけで、探る指は当麻のもっと奥へと進めていく。

「ダメだって………ば、征士、……よせよ!」

目的を持ってほんの少しだけ荒げられた当麻の声に、一瞬、征士の指が止まる。

胸元に這わせていた唇を離すと、顔を上げて当麻を見る。
当麻はため息をつき、征士を握っているのとは反対の左の手で、征士の長い前髪をかきあげた。
欲情をまったく隠さない、その瞳にどきりとする。

「頼む、当麻。お前が欲しい」

どうしていつもそう直球なのだろうか、この男は。
当麻は、そっと両の掌で征士の頬を包み、その瞳を覗き込んだ。

「どうしても、今日か?」

穏やかな当麻の声。

「今、だ」

返す征士の声と眼差しは、当麻に有無を言わせない。



身体で愛を確かめ合うという行為が、当麻とが初めてだった征士と違って、当麻は征士に出会う前から経験があった。
女性とばかりか、男性との性交すら経験しているということも、征士は当麻本人の口から聞いていた。

苦しい戦いの中で気持ちを確かめ合い、求めあって、征士と当麻はこれまでお互いの身体に触れ合い、慰め合うことで情交を重ねてきた。
征士はそれ以上を考えないこともなかった。
しかし当麻の話しぶりから、彼の経験が、あまり当人にとって喜ばしいものではなかったように感じられたので、先には進まずにいたのだ。
それでも十分に満足できていたはずだった。

しかし、今日は。
当麻が欲しい。

「お前の過去の相手が誰で、どこでどうしたのか、それも聞きたい」

欲しい。
そのすべてを自分のものにしたい。

自分が直接に手を下したのではないとしても、光輪の鎧が犯した罪を思念を通して見せられていた征士の受けた心理的ストレスがいかに大きなものだったか。
屍解仙の手下が操っていたコンピュータを覗いた当麻には想像がついた。
そして自分に甘えているのだ。
征士は。
それがわかるのが、当麻には嬉しかった。

「そんなこと、聞いたってつまらないぜ?」

当麻は緩やかに微笑みながら、征士の頬を挟んでいた両手で色素の薄いくせっ毛をかきまぜる。

「わかっている」

征士は憮然と答える。
そして当麻の胸に抱きついた。

「……思い出したくない思い出だと言っていたな。思い出させて、すまなかった」

その声は当麻の胸を通して当麻に響く。
当麻はベッドに仰向けになったまま、そっと胸の上にある征士の頭を抱いた。

「十二の時に両親が離婚して、お袋が出て行ったって言っただろう? それまでだって家にはいない両親だったんだけど、お袋がいなくなってから一人の夜がぐっと増えた」

もう言わなくていいと言ったことについて話し出したらしい当麻に何か言おうと、征士は頭を上げようとしたが、当麻が胸の上でしっかりと抱きしめて離さない。

「で、つまらないから夜遊びに出かけたんだ。さすがに十二歳じゃ、酒を飲むところには入っていけないし、外をブラブラしてたらさ、たまたまそういうところに足を踏み入れていたみたいでな。間違えられたんだ。客をとってるんだろうって」

そこで一度、当麻は深く息を吐いた。
征士は相槌を打つこともせず、黙って目を瞑った。

「おじさんかな、おじいさんかなってくらいの歳の奴でさ。大学の先生か何かなのか、やることはやるんだけど、いつもそれだけじゃなくて、俺の知らない最新の科学の話とかしてくれて」

「そんなに何回も会ったのか」

征士の声は胸から当麻の耳へと届く。

「そうだな。結構、毎週のように。おじさん、いつも同じ店で飲んでいて、俺がそこに行って。そこからいつもホテルに行くんだ。はじめのうちは痛くて気持ち悪くて。それは、やり続けていると気持ち良くなってきたんだけど。だけど、やるたびに何かが削り取られていくような感じがしていた。それなのに、ずっと会い続けた。次の約束なんかしないのに、自分からな」

征士はそっと頭を上げた。
当麻の顔は窓の方を向いていた。

「寂しかったのだな」

そう言って、また当麻の胸に頭をつけた。

「そうだな。その時は全くそんなこと思ってはいなかったが、今はわかる」

寂しいということがわかる。
寂しくなくなったから。

「迦雄須に出会ってから、出かけなくなった。俺って、いてもいいんだって思えたんだろう。鎧を任されてな。で、今はこうしてお前がいてくれるし。……まったく面倒がかかるけどな」

当麻はまた、征士の頭を抱く腕に力を込めた。
征士も当麻の背中に回した腕に力を込めた。

「すまなかった」

「征士。必要以上に傷つかなくていいんだ。お前は悪くない」

征士は黙って、頷いた。



「さて……と!」

当麻は征士を上に乗せたまま、腹筋を使って起き上がる。
足の傷が少し痛んで、眉を顰める。

「大丈夫か」

当麻に体重を預けていた征士が、慌てて少し離れて、心配そうに当麻の表情を覗く。

「……いや、大丈夫だ。お前といると癒されるからな。昨日より、ずっといいんだ。お前こそ平気なのかよ。初めてだろ? 体力いるぜ?」

当麻はニヤリと笑って、征士の肩を叩いた。

「最低限、ゴムとかゼリーとかないと無理だぜ。どこかで調達しないと」

「無理しなくていいのだぞ?」

「無理なんてしないさ。俺は経験者だ。お前だけ気持ちいいなんて不公平はないように、やるからにはちゃんとやるからな!」

当麻が立ち上がる。

「表に薬屋があっただろう。遅くまでやってそうだった」

「出歩いていいのか? 治安が悪いのだろう」

「お前、急に心配性になったな。事件の後遺症か? 大丈夫だ。お前と一緒にいれば、怖いものなんてない」

当麻はもう一度、まだベッドに腰掛けたままの征士の頬を両手で挟むと、その整った鼻先にキスをした。

「何か着ろよ。行こうぜ」

フロントには寄らず、ポケットにキーを突っ込んでホテルのエントランスを出る。
ニューヨークの排気ガス臭い生暖かい風が、二人の頬を撫でていく。

思い出したくもない思い出を積み重ねながら、人生は進んでいく。
だけど。

二人でいれば怖いものなんて、何もないのだ。



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