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【092】盆栽とフランス人

光輪愛風さまの征士さんお誕生日企画「征誕20160609」に参加しています(^-^)/

征士さん、お誕生日おめでとうございます!
私からの誕生日プレゼントは、当麻とのフランス旅行ってことで。
緑青です。


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防犯の面で少々難があるのではと当麻は最初気にかけていたのだが、それを押してもマンション一階の今の部屋を征士が二人の住まいに選んだのは、テラスに続くちょっとした庭スペースが大変気に入ったからだ。
小洒落たフェンスと駅に向かう遊歩道を挟んで続く隣の広い公園が、まるで自分の庭に繋がっているかのよう。
その征士のお気に入りのスペースが趣味の盆栽で埋め尽くされるのには、越して来てからさほど時間はかからなかったように当麻は記憶している。
征士本人は「少しずつ、少しずつだ」と言っているが。
しかし部屋から見える庭が緑でいっぱいなのは歓迎すべきことだ。
自室も趣味の古文書で足の踏み場もない状態である当麻は、征士の盆栽についてはとやかく口を出さないようにしている。

「フランスさん、また来てるな」

燕の飛び交う爽やかな季節。
テラスへと続くガラス戸を開け放し、二人で日曜日の遅い朝食をとっているところだった。
コーヒーを口にしながら外を眺めていた当麻の声に、食べ終えて片付けようと立ち上がった征士も外へ顔を向ける。
遊歩道に一人の白人青年が立ち止まり、フェンス越しに征士の盆栽を見ていた。
日曜日のこの時間に幾度となく見かける、年の頃も二人と同年代に見えるその青年は、部屋の住人二人から一方的に馴染みの顔になっていた。
西洋人は日本人の目から見るととかく格好良く見えるものではあるが、それを差し引いても、かなり見目も麗しい青年である。
もちろん外からマンションの部屋の中は、よほど覗き込まなければ見えないようになっているが、昼間の明るいうちは部屋から外の様子はよく見える。
当人の知らぬところでその外国人青年は、当麻から「フランスさん」というニックネームをもらっていた。

「時に当麻。なぜ彼がフランス人だと思うのだ」

フランスさんは、よほど興味を惹かれたものがあるのだろう。
まだそこにいて熱心に見入っている。

「うーん。なんとなく、だがな。服装とか。盆栽が好きみたいだし。フランスでかなり流行っているらしいぞ、盆栽」

「なるほど」

フランスさんは、遊歩道からは少し奥まったところに置かれた藤にすっかり魅了されたらしい。
藤はちょうど花の咲き始めたところで、その何分咲きかの花の咲き具合も品が良く、征士が昨日、部屋からよく見えるところに場所を移したのだ。

「当麻。お前、フランス人と話ができるか」

征士の問いに、

「そりゃ、できるけど?」

と当麻が答えると、征士はテラスまで出て、フェンスの向こうのフランスさんに声をかけた。





「ヤマモミジの赤がみごとですネ」

フランスさん改めイーサンはその日を境に、たまに二人の部屋に招待されて日曜日の昼下がりのお茶を楽しんでいく、数少ない二人共通の友人の一人になった。
歳もお国も当麻の見立ての通り、征士や当麻と同じ歳のフランス人だ。

征士は最初しばらくの間イーサンの名を、名前の「イー」に敬称を付けた「イーさん」だと思い込んでいたらしい。
おそらくはその前から密かに呼び慣れていた「フランスさん」につられたのだろう。

「自分でイーサンだと名乗ったじゃないか。井伊直弼かよ」

笑う当麻に、征士は

「リョーもシューも似たようなものではないか」

とふてくされた。

当麻曰く、イーサンとはフランスではよくある名前なのだそうだ。

「強いって意味なんだ。だから日本の名前でいったらツヨシみたいなもんかな」

言いながら当麻は笑い涙を拭う。
「イーさん事件」はイーサンの気づかないうちに解けた誤解だったが、それからしばらく当麻は征士がイーサンに呼びかけるたびに吹き出しそうになるので、征士はその度に閉口した。

「あれは春の葉刈りが上手くいったな。今度植え替えをしようと思うが……」

「それ、ゼヒ見学いたしマス!」

聞いてみればイーサンは、盆栽に少々興味があるというどころではなく、盆栽を学ぶために日本に留学しているのだという。
二人のマンションにほど近い私立大学の農学部に去年から通っている。
祖父の見様見真似とNHK趣味の盆栽を教科書に自己流でやっている征士より、盆栽についてはよほど専門家なのだ。
しかしイーサンは、毎週の散歩道に見かけた征士のやや前衛的な盆栽のセンスにぞっこん惚れ込んでいた。

三人で話すときには基本的に日本語で。
どうしても伝わらないことがあればイーサンのフランス語を当麻が通訳する。
そのおかげで当麻はずいぶんと日仏両方の盆栽用語に詳しくなった。

イーサンのマグカップが空になったのを見て征士が立ち上がり、キッチンへ向かう。
そうなると、当麻とイーサンはフランス語で話し始める。
イーサンの日本語も日常会話と盆栽の話なら不自由しないレベルではあるが、

「イーサンの日本語より、俺のフランス語の方が堪能だからな」

「ははは。そのとおりデス。私も言いたいことがちゃんとお伝えできるからトテモ嬉しい」

ということらしい。
イーサンによると、時折仕事で使っている当麻のフランス語は、パリ出身のフランス人と話しているのとまったく変わらない腕前だということだ。

英語ならともかく、キッチンに立った征士の耳に漏れ聞こえてくる二人のフランス語は、残念ながら征士には一言も理解することはできない。
しかし時々聞こえてくる「セージ」は、おそらく自分のことだろうとわかるから、会話の内容は大いに気になるのだ。

『相変わらずいい男だよね、征士は』

フランス語でそう言って、イーサンはキッチンの征士をちらりと見る。
征士は小さなケトルにペットボトルに入ったミネラルウォーターを注いでいる。

『はいはいはい。そうですか、そうですか』

当麻はぞんざいな返事を返す。
もちろんフランス語で。

『本当に美しいよ。つくづく持って帰りたいなぁ。プロヴァンに』

うっとりしているイーサンに、当麻は軽くため息をつく。

『「もって帰る」じゃなくて「連れて帰る」だろ? フランス語は正しく使えよな』

フランス語で交わされる当麻とイーサンの会話はたいがい、本人には聞かせられない征士の話題だ。

『間違ってなんかない。彼は国宝級の芸術品だよ、当麻』

イーサンの目はまたちらりと征士を見て、戻って当麻に同意を求める。

『どうして日本語で本人に言わないんだよ』

そう。
イーサンは当麻にはそんなことをよく話すのに、征士に直接秋波を送ることをしない。

『そうしたら彼が僕になびくんなら、もちろんそうしているさ』

日本語ではぎこちない行き過ぎた敬語になりがちなイーサンだが、フランス語で話す時は普通の青年だ。

『だけど今のところ、それは無理そうだからね』

『まぁな』

当麻は軽く笑う。

『余裕だねぇ』

イーサンは両方の眉をあげて、肩をすくめた。

『そうでもないぞ。あいつは何事にも一生懸命な奴には親切だからな。しかもイーサン、お前は征士の大好きな盆栽に心底打ち込んでる。その調子であいつにも誠実にアタックし続ければ、あいつもそのうちほだされるかもしれん』

まるで他人事のようにそう言うと、当麻は冷めてしまった自分のコーヒーを一口飲んだ。

『いいのか?』

顔を覗き込むイーサンに、当麻はマグカップ越しに上目づかいの視線を返す。

『よかない。でもイーサン、お前はタチだろう? あいつはネコにはならんぜ』

『それは、僕の腕次第でしょう』

そこで自信のたっぷりに胸を張ったイーサンに、当麻はマグカップを取り落しそうになる。
イーサンは笑う。

『まぁ冗談だってことにしておくよ、当麻。彼の目には君しか映っていないのは、僕にだってわかるからね。ほら、見てごらんよ』

促されるままに当麻はキッチンの征士を見ると、いつからかこちらの様子をうかがっていたらしい征士は、当麻と目が合った瞬間に自分の手元にさっと視線を流した。

イーサンは、これ見よがしに当麻の顔にグッと自分の顔を近づける。

『征士はね、僕が君に手を出さないかってことを警戒しているんだよ』

『馬鹿言え』

間近からイーサンを睨み返す当麻の頬は、確実に赤くなっている。

「待たせたな」

征士が少々近すぎる二人の間にトンッと湯気のたったカップをおいた。

「二人だけで、ずいぶんと楽しそうではないか。……イーサン。私にフランス語がわからないのをいいことに、当麻を口説いているのではあるまいな」

「Tu vois, je te l'avais dit…… (ほら、言っただろ?)」

イーサンと当麻は顔を見合わせたまま吹き出した。
征士はますます眉間のしわを深くして、どすんと当麻の隣に腰かけたが、それからたまらずに一緒に笑った。




次の春、イーサンは留学を無事に終え、祖国へと帰って行った。
休暇を取って空港まで見送りに来た二人に何度も礼を言い、ことさら当麻にハグをして、今までしたことのない頬にキスまでした。

『アホ!お前、相手が違うだろう⁉︎』

国際線ターミナルでは大して目立ちもしない行為だったが、当麻は慌てる。
そんな当麻をハグしたまま、イーサンは耳元で囁いた。

『ははは。こっちの方が効果があるんだ。後で分かるよ』

あっけに取られてそれを見ていた征士にも手を振りながら、イーサンは搭乗ゲートから見えなくなった。

空港の人混みを、肩を並べて歩く。
垢ぬけた土産物屋の店先の小さな飛行機のミニチュアを手に取ると、当麻はまるで子どものように滑空させる。

「いい時期になったら、イーサンの気に入っていたあの鉢をフランスに送ってやろう」

そんな当麻に征士は目を細める。

「プロヴァンはパリからそんなに遠くないからな。出張のついでに俺が持って行ってやってもいい」

二人の間をぐるりと一周した小さなジャンボジェットは、またショーケースの値札の向こうに着陸した。
操縦を終えた当麻の右手に征士はそっと左手をつなぐ。

「その時は私も行こう。向こうで当麻を取られてしまってはかなわんからな」

「……なるほど! そういうことか」

合点がいった当麻は空いた方の手で、参ったとばかりに頭をかいた。

「なんだ?」

「いーや。……まぁちょっと悔しいけど、一緒に行ってみるか」

不思議そうな顔をする征士の手をひいて当麻は歩き出す。
頭の中にはもう、フランス旅行の計画が踊りだしている。
空港の巨大なガラス窓から、飛行機の飛び立つのが見えた。







おわり
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