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【079】ふくをぬぐ

当麻が服を脱ぐだけのお話。
緑青です。



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「まだ起きてたのか」

古い屋敷のしっかりとした木のドアを押し開ける重く軋んだ音とともに、聴きなれた同室の男の声がした。
ベッドヘッドにもたれて座り、読み耽っていた本から目を上げると、部屋に入ってきた当麻は両の手のひらを口元に当て、自分の息をかけたりこすり合わせたりしている。

「冷えた冷えた。寒い寒い」

「また書庫か」

昼間は初夏の陽気なのだが、夜の空気にはまだ冬の冷たさが残る。おまけにこの男は随分と暑がりで、それにもまして寒がりなのだ。このことは阿羅醐との戦いの終わった後の、ここしばらくの共同生活の中で知った。

「何だ。その格好は」

屋敷の中なのにもかかわらず、当麻は真冬のコートを着込んでいる。

「だから寒いだろう、書庫は」

「暖房をつけなかったのか」

「そんなに長居するつもりじゃなかったんだよ。ストーブをつけたって、部屋が暖まるのに2、30分かかるからな」

そう言いながら当麻はコートを脱いで放る。どさり、とコートはクロゼットの前にうずくまった。

「せっかく風呂に入ったのに、すっかり冷えたよ。この部屋はあったかいな」

「ここは昼間、陽が入るからな」

呆れたことに、当麻はコートの下にセーターまで着込んでいた。寒がりにも程がある。いくら夜寒だといっても、風呂上がりにそんな厚着で汗をかかないのが不思議なくらいだ。
そのセーターを脱ぐのに、当麻は両手をセーターの裾にかける。

「今日は天気も良かったしな。……何だよ」

セーターを腹までまくりあげた当麻が、ふとそこで手を止めて、私の顔を見てほんの少し眉を寄せた。

「……何だとは?」

「……いや、何でも」

当麻はそう言うと、脱ぎかけたセーターを一気に頭まで抜いた。夜更けの薄暗い部屋の中でも不思議と目に蒼く映る髪が軽く乱れるが、当麻が首を左右に振ると、また見慣れたいつもの形に戻る。髪はまだ少し湿っているようだった。脱いだセーターは裏返しのまま、さっき脱いだコートの上に放り投げられる。

「いつも熱心だな。何か気になって調べていることでもあるのか」

「いや、別に。面白いモンがいっぱいあるから、ただ漁ってるだけ」

当麻がその下に着ていたのは、身体にピッタリとした長袖で、それもまた脱ぐつもりらしい。右手で左の袖口をつかみ、腕を抜く。そのまま服の中で身体をモゾモゾと動かして、右腕も服の中に入れる。
そこでまた両腕を服の中に入れたまま、当麻は私の方を向いた。

「お前さ……」

「何だ」

「……いや」

首の上まで服を引っ張り上げながら当麻は何か言葉を続けたようだったが、よく聞こえない。裏返しにならないように、やや丁寧に頭から抜くと、ようやくいつも寝巻き代わりにしている真っ白なTシャツが現れた。脱いだ長袖の服は、今度はポンとベッドの上に放られた。
Tシャツとスウェットのズボン。これでいつもの当麻の就寝スタイルになった。私はその時、なぜかホッとしている自分に気づいた。
しかし当麻はおもむろに、右手で自分の首の後ろの襟首をつかむ。

「それも……⁉︎」

「?」

思わずかけてしまった声に、当麻はTシャツをつかんだまま、下げていた頭を上げる。

「何だよ」

「いや、それも脱ぐのかと……」

「ああ」

するん、とあっという間にTシャツが引き抜かれ、裸の上半身が露わになる。弓を引くからなのだろうか。肩から胸にかけての筋肉が意外にしっかり付いている。何か着ている時は、あまりそのようには見えないのだが。

「何だかな。今夜は半袖じゃ寒そうだろう。でも重ね着して寝るの、俺、嫌いなんだよ」

当麻は脱いだTシャツをコートとセーターの上に、また放り投げた。その時向けられた当麻の背中に、思いもよらない感情が湧き上がった。

触れたい。

一瞬その思いに忠実に、私は腰を上げようとしていた。しかしすぐに思い返して座り直す。

「そうか」

意識して落ち着いた声を返す。次はきっと、さっき脱いだ長袖を着直すのだろう。できればさっさと着てもらい、そのむき出しの上半身を隠してもらいたい。早く平常心を取り戻したい。
しかしそんな私の願いも虚しく、当麻は今度はスウェットの腰ゴムの部分に手をかけた。

「……!!」

「ん?」

私の声にならない声に、当麻は今度は本格的に顔をしかめて私を見た。

「お前さぁ……。何を睨んでるんだよ。さっきから……」

当麻は両手でスウェットを下ろす。膝下まで下ろして、右脚を抜き、それからスウェットを手放して床に落とし、左脚も抜く。それから器用に足先でスウェットを蹴り上げて、ベッドの上に乗せた。

「おい!征士⁉︎」

鋭い声で我に帰り、慌てて当麻の足先から顔へと視線を移す。

「⁉︎ あ……すまん。……何だったか」

「どうしたんだよ、さっきから。何か怒ってるのか?」

怒っている。そう見えているらしいことに、ひとまず安堵する。当麻が服を脱ぐ様子に釘付けになり、その上、素肌に触れたいなどと考えていたなどと知られてしまっては困るのだ。

「怒ってるというほどではないが。コートやセーターは脱いだらすぐに片付けろ。そういうことをしているから、片付けても片付けてもすぐに散らかるのだ」

「後でまとめてするよ。……お前今日、ちょっと変だぞ」

何とか取り繕ったが、うまくごまかしきれてはいないようだ。確かに変だ。自分でもそう思う。しかし見ていてはいけないと思えば思うほど、半裸の当麻の姿から目が離せない。振り払ったはずの危ない欲求は、また突き上がってくる。
そしてあろうことに、当麻は今度はその最後の一枚にまで手をかけた。

「なぜそれを脱ぐ必要がある!」

気がつけばベッドの上に立ち上がっていた。
当麻はキョトンと目を丸くして私を見ている。

「いいだろう、別に。寝る前は洗いたてのパンツで寝たいんだよ」

当麻は私の視線を軽く避け、こちらに尻を向けてトランクスを下ろした。引き締まった小さな尻が露わになる。

ごくり。

私は生唾を飲み込んでいた。当麻はそれに気づいた様子もなく、膝まで降りたトランクスを両足をジタバタさせて下まで下ろし、これもまた器用に蹴飛ばして、それをコート他の山の頂上に着地させた。

全裸だ。

裸の当麻だ。

だから……いったい何だというのだ、私は。

馬鹿みたいにベッドの上に突っ立ったまま、それでも当麻の腰の辺りから目を離すことができないでいる。
当麻はそんな私を振り返ることもなく、ベッドの上にあった長袖を着る。そして尻を出したままクロゼットまで数歩歩き、中から違うトランクスを取り出すと、はいた。

「洗濯は当番で、俺だってちゃんとやってるんだからいいだろう。1日に2回パンツ換えるくらい」

ようやく振り返った当麻は、口を尖らせて私にそう言った。

「ああ……。まあ、そうだな」

私は深ーく息をついた。

ようやく当麻から目を離し、またベッドの上に腰を下ろす。何だかさっぱりわからないが、とにかく危機は去った気がする。

「やっぱりお前、おかしいぞ。早く寝ろよ。おやすみ」

「ああ。おやすみ」

当麻が明かりを消し、部屋は真っ暗になった。当麻がベッドに潜り込んだのが、気配でわかる。

鍛錬が足りんのだ、きっと。

結局脱ぎ捨てたままのコートの類は気になったが、明日の一層の早起きを誓い、私も目を閉じた。





おわり


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