たいいくのひ
since November 22th 2012
【076】another story
久しぶりのSSとなりました。
緑青です。
**********
新幹線の改札を出て、幾多軒を連ねる土産物店の前を通り過ぎ、階段を下りる。
広いロータリーの上に張り巡らされたデッキに出ると、涼やかな風がむき出しの腕を撫でる。
仙台には東京より幾分早く秋が近づいているのだ。
ジーンズにTシャツ1枚だけの、自分の軽装が少し気になった。
腕時計に目を遣ると、記憶にある発車時刻はもう間もなく。
1時間にそう何本もない路線だ。すぐにまた小走りでバスターミナルへと続く階段を下りる。
目指す乗り場に停まっていたバスから、ちょうどエンジンがかかる音が聞こえてきた。
慌ててバスのステップを駆け上がる。
バスはすぐに発車して、ゆっくりとロータリーを回り、街中へと走り出した。
ケヤキ並木の作り出す陰影が、キラキラと車窓にまぶしい。
並木の向こうに赤い滑り台が見えて、すぐに見えなくなる。
どこにでもある、滑り台と砂場とブランコがあるだけの小さな公園。
初めてきちんと向かい合って、征士に気持ちを伝えた場所。
あれは雪の降る夜だったっけ。
「……ごめん」
何気なく呟いた自分の言葉に苦笑する。
何かあるごとに謝っている。
征士はきっと俺のそんな言葉にも、謝ったってちっとも変わらない俺自身にも、もう飽き飽きしているに違いない。
最後に見た、征士の何とも言い難い寂しげな表情が脳裏に浮かぶ。
「ごめんな、征士」
ちょっとした感謝や、確かにある愛とか情とかが、言葉ではうまく伝えられなくて。
イタズラに増えていくのは「ごめん」の数ばかりだ。
降りる人も乗る人もいないバス停を、バスは次々に通過していく。
また深いため息が出る。
のこのことこんなところまで来て、俺はどんな顔で征士に会おうっていうんだろう。
そんなことを考えていると、窓に映る自分と目が合って、また俺は苦笑するしかない。
甘えているんだ。
征士に。
ようやく街並みに高い建物が少なくなる。
緑がより多くなってくる。
包丁で野菜を刻む音。
くつくつと何かが煮えている鍋。
みりんと醤油の香りが優しく満ちている。
出かけている母の代わりに夕食の支度をする姉と妹の何やら楽しそうな声。
どうにも入りたくない雰囲気だが、祖父と将棋を打っていた私は、2人分のお茶を用意しに仕方なく台所へと入った。
「あら、征士さん。そろそろいらっしゃるんじゃないですか」
「そうよねー。お兄ちゃんが帰ってきてから3日でしょう。で、土曜日だし。今日は来るわよね」
「……何の話ですか」
案の定だ。
「母様がケーキを買って帰ると言っていましたよ。甘いものがお好きですからね」
「ご飯もたくさん作ってるわよ。この前来た時に美味しいって言ってた肉じゃがもね」
「…………」
急須にお湯を注ぎながら、私はもう返事もしない。
勝手口から胴着をつけて頭に晒しを巻いたまま、汗だくだくの義兄が顔を出した。
「弥生。新しく入りたいという子が来ているんだが、ちょっと来てくれないか」
「はい」
姉が手ぬぐいで手を拭きながら返事をする。
黙って急須を見つめ、気配を消しているつもりの私の背中に義兄が気づいて声をかける。
「あ、征士君。道場の鍵どうする? 今日あたり来るだろう、羽柴君。半年くらい振りだよな。腕を上げてるだろうなぁ」
湯気の立つ湯のみを2つお盆に載せて、祖父と指しかけの将棋盤の待つ縁側へと戻った。
年老いてもなお背筋のきちんと伸びた祖父は、こちらを見上げて茶に手を伸ばす。
「熱いですよ」
言いながら、祖父にそっと湯のみを手渡し、自分の湯のみは座卓の上に置き、祖父の対面に座ろうと腰を下ろしかけた。
「そろそろ……時間だな」
一口お茶をすすってから壁にかかった時計を見て、祖父が言った。
「どこかへお出かけですか」
「出かけるのはお前だろう、征士。バスの着く時間だ。出迎えてやりなさい」
「将棋の続きはどうするのですか」
誰を、とはもう聞かなかった。
「お前とはもういい。先は見えている。この続きは羽柴君としよう」
ため息をつくしかない。
傾いた日が辺りを真っ赤に染めている。
ここ数日は必ずあった夕立が、今日はなかったのだなと、空を見上げた。
秋の雲だ。
公園の前のバス停にバスを待つ人はいない。
いつもの休日通り昼過ぎに起きて支度をし、順調に新幹線に乗れば、確かにこのくらいの時間にここには着くだろう。
そして今日中にトンボ帰りしようと思えば、やはりこの時間には来るしかないのだ。
そしておそらく、茶を飲んだら帰ると言うのを皆で一斉に引き止め、飯を食わせ、菓子を食わせ、義兄の剣道の相手をさせ(なぜかわからないが、去年から当麻も急に剣道を始めたのだ)、最後に祖父の将棋の相手を延々とさせるのだ。
最後にはどうせ結局泊まっていく羽目になる。
しかし果たして、そんな家族の思惑通りに彼は現れるのだろうか。
来なければ、あの大量の料理や母が買ってくるというケーキや、義兄や祖父のあの期待いっぱいな顔をどう始末したらいいのだ。
当麻に電話を一本かけて聞けばいいことなのだが、何も言わずに家を出てきてしまった手前、なんとなくそれもできずにいる。
バス停に記された定刻になってもバスは見えない。
いつのまにか早く来ないかと待ち望んでいる自分に気づいて、また私は渋面を取り繕った。
今日の夜にはどうせ喧嘩のことなどうやむやになってしまっているのだ。
せめて今だけでも。
怒っている顔だけでもしておかなければ、格好がつかない。
車窓から眺める夕焼けに輝く街の景色は、いつしかすっかり馴染みにの風景になっていた。
枚方なんかよりよほど、自分の故郷のような。
思いつくことは数多あるが、征士をそこまで怒らせた最終的な原因がいったい何だったのかさえよくわからない自分が情けない。
征士はまだ怒っているんだろうか。
帰ってこないということは、そういうことなのだろう。
今度こそ、もう許してはくれないのかもしれない。
なんて言ったら、どう謝ったら許してもらえるのだろうか。
バスの自動アナウンスが、征士の家の最寄のバス停の名前を告げる。
わかっているのにドキリとする。
なんて言おう。
どんな顔をしよう。
バス停が見えてきた。
そしてそこに、よく見慣れた癖っ毛の男が立っているのが見えた。
定刻を8分も過ぎたところで、カーブの向こうからバスがようやく姿を見せた。
当麻は乗っているのだろうか。
バスがウィンカーを左に出して、そして、スピードを落とし始める。
運転手に声をかけて料金箱に小銭を落とし、当麻はバスのステップを降りる。
バスは当麻一人を降ろすと、ブザー音とともにドアを閉め、行ってしまった。
うつむいた当麻には、正面に腕組みをして立っている征士の、相変わらずきちんと手入れされた靴しか見えない。
バスの音が遠くなり、征士の後ろを白い子犬を連れたご婦人が通りすぎる。
犬は当麻の顔を一瞬見上げ、征士の足元の匂いを少し嗅ぐと、リードに引かれて行ってしまった。
「………ごめん」
気詰まりな沈黙の後、何回、何百回言ったことか、言われたことかわからない台詞が、ようやく当麻の口からこぼれ出た。
「遠くまで、よく来たな」
思いも寄らぬ明るい声に驚いた当麻が顔を上げると、征士はその肩を軽く叩いて、長旅の労をねぎらった。
征士だって驚いたのだ。
3日間離れてただけの恋人に会えたのがこんなにも嬉しいことに。
そして怒った顔一つしてみせることができない自分に。
「とりあえずウチに来い。みんな待っている」
背中を夕日に照らされながら、2人は征士の実家へと向かう。
「どうして今……って言うか、俺が来るってわかったんだ?」
「私の実家には予言者がたくさんいてな」
征士がそう言うと、当麻は眉根を寄せて首を傾げた。
家族にすっかり読まれてしまっている行動パターンにも、征士が怒って出ていった本当の理由も、頭がいいはずのこの男は全くわかっていないのだろう。
そう思うと征士はこみ上げる笑いを我慢できなかった。
「何がおかしいんだよ。もう怒ってないのか?」
「はじめから怒ってなどいない」
「じゃあ何でいなくなるんだよ……」
道場から帰る子ども達とすれ違い、挨拶を交わす。
角を曲がれば伊達家の門が見える。
「姉さんと皐月が肉じゃがを作っていたぞ」
「やった!」
「お爺様と将棋盤も待っているぞ。私の続きを務めてもらおう」
「げ。それ苦手。お前の盤面はわけがわからん」
「何だそれは」
長く伸びた征士の影が当麻の頭を小突く。
それから2つの影は、屋敷の影へと吸い込まれていく。
「羽柴さーん!いらっしゃーい!」
玄関の引き戸を開ける音と、皐月の元気な声が澄んだ秋の空気に響いた。
おわり
緑青です。
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新幹線の改札を出て、幾多軒を連ねる土産物店の前を通り過ぎ、階段を下りる。
広いロータリーの上に張り巡らされたデッキに出ると、涼やかな風がむき出しの腕を撫でる。
仙台には東京より幾分早く秋が近づいているのだ。
ジーンズにTシャツ1枚だけの、自分の軽装が少し気になった。
腕時計に目を遣ると、記憶にある発車時刻はもう間もなく。
1時間にそう何本もない路線だ。すぐにまた小走りでバスターミナルへと続く階段を下りる。
目指す乗り場に停まっていたバスから、ちょうどエンジンがかかる音が聞こえてきた。
慌ててバスのステップを駆け上がる。
バスはすぐに発車して、ゆっくりとロータリーを回り、街中へと走り出した。
ケヤキ並木の作り出す陰影が、キラキラと車窓にまぶしい。
並木の向こうに赤い滑り台が見えて、すぐに見えなくなる。
どこにでもある、滑り台と砂場とブランコがあるだけの小さな公園。
初めてきちんと向かい合って、征士に気持ちを伝えた場所。
あれは雪の降る夜だったっけ。
「……ごめん」
何気なく呟いた自分の言葉に苦笑する。
何かあるごとに謝っている。
征士はきっと俺のそんな言葉にも、謝ったってちっとも変わらない俺自身にも、もう飽き飽きしているに違いない。
最後に見た、征士の何とも言い難い寂しげな表情が脳裏に浮かぶ。
「ごめんな、征士」
ちょっとした感謝や、確かにある愛とか情とかが、言葉ではうまく伝えられなくて。
イタズラに増えていくのは「ごめん」の数ばかりだ。
降りる人も乗る人もいないバス停を、バスは次々に通過していく。
また深いため息が出る。
のこのことこんなところまで来て、俺はどんな顔で征士に会おうっていうんだろう。
そんなことを考えていると、窓に映る自分と目が合って、また俺は苦笑するしかない。
甘えているんだ。
征士に。
ようやく街並みに高い建物が少なくなる。
緑がより多くなってくる。
包丁で野菜を刻む音。
くつくつと何かが煮えている鍋。
みりんと醤油の香りが優しく満ちている。
出かけている母の代わりに夕食の支度をする姉と妹の何やら楽しそうな声。
どうにも入りたくない雰囲気だが、祖父と将棋を打っていた私は、2人分のお茶を用意しに仕方なく台所へと入った。
「あら、征士さん。そろそろいらっしゃるんじゃないですか」
「そうよねー。お兄ちゃんが帰ってきてから3日でしょう。で、土曜日だし。今日は来るわよね」
「……何の話ですか」
案の定だ。
「母様がケーキを買って帰ると言っていましたよ。甘いものがお好きですからね」
「ご飯もたくさん作ってるわよ。この前来た時に美味しいって言ってた肉じゃがもね」
「…………」
急須にお湯を注ぎながら、私はもう返事もしない。
勝手口から胴着をつけて頭に晒しを巻いたまま、汗だくだくの義兄が顔を出した。
「弥生。新しく入りたいという子が来ているんだが、ちょっと来てくれないか」
「はい」
姉が手ぬぐいで手を拭きながら返事をする。
黙って急須を見つめ、気配を消しているつもりの私の背中に義兄が気づいて声をかける。
「あ、征士君。道場の鍵どうする? 今日あたり来るだろう、羽柴君。半年くらい振りだよな。腕を上げてるだろうなぁ」
湯気の立つ湯のみを2つお盆に載せて、祖父と指しかけの将棋盤の待つ縁側へと戻った。
年老いてもなお背筋のきちんと伸びた祖父は、こちらを見上げて茶に手を伸ばす。
「熱いですよ」
言いながら、祖父にそっと湯のみを手渡し、自分の湯のみは座卓の上に置き、祖父の対面に座ろうと腰を下ろしかけた。
「そろそろ……時間だな」
一口お茶をすすってから壁にかかった時計を見て、祖父が言った。
「どこかへお出かけですか」
「出かけるのはお前だろう、征士。バスの着く時間だ。出迎えてやりなさい」
「将棋の続きはどうするのですか」
誰を、とはもう聞かなかった。
「お前とはもういい。先は見えている。この続きは羽柴君としよう」
ため息をつくしかない。
傾いた日が辺りを真っ赤に染めている。
ここ数日は必ずあった夕立が、今日はなかったのだなと、空を見上げた。
秋の雲だ。
公園の前のバス停にバスを待つ人はいない。
いつもの休日通り昼過ぎに起きて支度をし、順調に新幹線に乗れば、確かにこのくらいの時間にここには着くだろう。
そして今日中にトンボ帰りしようと思えば、やはりこの時間には来るしかないのだ。
そしておそらく、茶を飲んだら帰ると言うのを皆で一斉に引き止め、飯を食わせ、菓子を食わせ、義兄の剣道の相手をさせ(なぜかわからないが、去年から当麻も急に剣道を始めたのだ)、最後に祖父の将棋の相手を延々とさせるのだ。
最後にはどうせ結局泊まっていく羽目になる。
しかし果たして、そんな家族の思惑通りに彼は現れるのだろうか。
来なければ、あの大量の料理や母が買ってくるというケーキや、義兄や祖父のあの期待いっぱいな顔をどう始末したらいいのだ。
当麻に電話を一本かけて聞けばいいことなのだが、何も言わずに家を出てきてしまった手前、なんとなくそれもできずにいる。
バス停に記された定刻になってもバスは見えない。
いつのまにか早く来ないかと待ち望んでいる自分に気づいて、また私は渋面を取り繕った。
今日の夜にはどうせ喧嘩のことなどうやむやになってしまっているのだ。
せめて今だけでも。
怒っている顔だけでもしておかなければ、格好がつかない。
車窓から眺める夕焼けに輝く街の景色は、いつしかすっかり馴染みにの風景になっていた。
枚方なんかよりよほど、自分の故郷のような。
思いつくことは数多あるが、征士をそこまで怒らせた最終的な原因がいったい何だったのかさえよくわからない自分が情けない。
征士はまだ怒っているんだろうか。
帰ってこないということは、そういうことなのだろう。
今度こそ、もう許してはくれないのかもしれない。
なんて言ったら、どう謝ったら許してもらえるのだろうか。
バスの自動アナウンスが、征士の家の最寄のバス停の名前を告げる。
わかっているのにドキリとする。
なんて言おう。
どんな顔をしよう。
バス停が見えてきた。
そしてそこに、よく見慣れた癖っ毛の男が立っているのが見えた。
定刻を8分も過ぎたところで、カーブの向こうからバスがようやく姿を見せた。
当麻は乗っているのだろうか。
バスがウィンカーを左に出して、そして、スピードを落とし始める。
運転手に声をかけて料金箱に小銭を落とし、当麻はバスのステップを降りる。
バスは当麻一人を降ろすと、ブザー音とともにドアを閉め、行ってしまった。
うつむいた当麻には、正面に腕組みをして立っている征士の、相変わらずきちんと手入れされた靴しか見えない。
バスの音が遠くなり、征士の後ろを白い子犬を連れたご婦人が通りすぎる。
犬は当麻の顔を一瞬見上げ、征士の足元の匂いを少し嗅ぐと、リードに引かれて行ってしまった。
「………ごめん」
気詰まりな沈黙の後、何回、何百回言ったことか、言われたことかわからない台詞が、ようやく当麻の口からこぼれ出た。
「遠くまで、よく来たな」
思いも寄らぬ明るい声に驚いた当麻が顔を上げると、征士はその肩を軽く叩いて、長旅の労をねぎらった。
征士だって驚いたのだ。
3日間離れてただけの恋人に会えたのがこんなにも嬉しいことに。
そして怒った顔一つしてみせることができない自分に。
「とりあえずウチに来い。みんな待っている」
背中を夕日に照らされながら、2人は征士の実家へと向かう。
「どうして今……って言うか、俺が来るってわかったんだ?」
「私の実家には予言者がたくさんいてな」
征士がそう言うと、当麻は眉根を寄せて首を傾げた。
家族にすっかり読まれてしまっている行動パターンにも、征士が怒って出ていった本当の理由も、頭がいいはずのこの男は全くわかっていないのだろう。
そう思うと征士はこみ上げる笑いを我慢できなかった。
「何がおかしいんだよ。もう怒ってないのか?」
「はじめから怒ってなどいない」
「じゃあ何でいなくなるんだよ……」
道場から帰る子ども達とすれ違い、挨拶を交わす。
角を曲がれば伊達家の門が見える。
「姉さんと皐月が肉じゃがを作っていたぞ」
「やった!」
「お爺様と将棋盤も待っているぞ。私の続きを務めてもらおう」
「げ。それ苦手。お前の盤面はわけがわからん」
「何だそれは」
長く伸びた征士の影が当麻の頭を小突く。
それから2つの影は、屋敷の影へと吸い込まれていく。
「羽柴さーん!いらっしゃーい!」
玄関の引き戸を開ける音と、皐月の元気な声が澄んだ秋の空気に響いた。
おわり
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