たいいくのひ
since November 22th 2012
【075】sweet reply
緑青。
バレンタインネタです。
**********
「伊達くーん、友達が来てるよ! 前の公園で待ってるって」
階下から下宿のおかみさんに呼ばれて、征士は大きな声でドアの向こうの廊下に向かって返事を返す。そして二階の自分の六畳間の窓を開け、外を覗いた。部屋の中のストーブで暖まった少し灯油の匂いのする空気と、キンキンに冷えた外の空気とが入れ替わる。
すぐ目の前にある錆びた滑り台とブランコがあるだけの小さな公園に、見慣れた長身が立ってこちらを見上げていた。
「当麻!」
征士の住まいは今時ちょっと珍しいタイプで、電話は御歳七十歳で大家で管理人の「おかみさん」が取り次いでくれる。風呂も便所も共用の、昔ながらの下宿だ。
地元仙台の大学へ進学することを望む家族(主に祖父と母だが)に無理を通して東京に出てきた征士は、学費以外の援助を一切断っていた。生活費は家庭教師と短期のバイトを様々掛け持ちして何とか賄っているので、安くて面倒見のいい、何より食事が付いているこの下宿は、征士にとってはありがたい。
「おー。降りて来いよ」
東京の冬にしてはいささか大げさにも思える革製のミトンの手袋をした右手を当麻は挙げて見せた。
征士に比べて当麻は、経済的にはあまり苦労のない学生生活を送っている。何の躊躇も葛藤もなく自分の一番興味のある研究をしている教授がいる都内の某私立大学を選び、親に大した相談もせずに受験。両親は当麻が合格を知らせると「そう(か)。おめでとう」と異口同音に言って、あとは当麻が必要だと言っただけの金を、当然のように毎月仕送りしてくれている。
高校生の三年間は、仙台と大阪に遠く離れて暮らしていた二人だった。征士はマメに当麻に電話を入れて当麻の意中の大学を聞き出し、できるだけその近くで征士のしたい勉強のできる大学を選んだ。少なくとも四年間は当麻のそばにいられるように。その四年間のうちの半分が、もうすぐ終わろうとしている。
昨日、珍しく少しだけ積もった雪が、公園の隅の電話ボックスの上に、まだ凍りついたままだ。
冬になると二言目には「東京は寒い」が口癖の当麻は、紺色のダッフルコートの首元に長いマフラーをグルグル巻きにして、そこに顔半分をすっぽりと埋めている。ニットの帽子も深々とかぶって。
それでも声がはっきりと聞こえてくる気がするのは、それが当麻の声だからなのだろうと、征士は自分の陥ってしまった穴の深さを思って苦笑いする。
「今行く!」
征士は急いで窓を閉め、壁のフックにに掛けてあったジャンバーを羽織ると部屋を出た。
「お前から訪ねて来るとは珍しいな」
白い息を吐き出してはそれを眺めている当麻の元に、征士は息を弾ませて駆けつけた。
「そうだろう」
当麻はなぜか胸を張って見せた。
「これ、お前に渡しに来たんだ」
当麻は手袋をしたまま、コートのポケットに手を無理に突っ込んでみたが、革のミトンでは何ができるものでもない。小さく舌打ちして手袋を外し、もう一度ポケットに手を入れた。取り出したのは、スーパーやコンビニでよく見かけるハート型のピーナツチョコレートだ。
「買物に行ったら、店に入ってすぐのところにこれが山積みになっててさ。そしたら思い出したんだ。お前のこと」
当麻は手にしたチョコレートに目を落として言った。
「私のこと?」
征士が当麻に数年来溜め込んできた思いのたけを打ち明けたのは、今からちょうど一ヶ月ほど前のことだった。
これまで長い休みは東京にいてバイトに明け暮れていた征士だったが、この冬は自分の成人式があったこともあり、冬休みのはじめから成人式まで仙台の実家に戻っていた。実家の道場の手伝いをして、いくらかのバイト代を稼ぎながら。
上京して以来、他の仲間達にどうしてそんなに懐いているのだと笑われるほど当麻のアパートに、学校に、バイト先に通い詰め、三日以上当麻と顔を合わせない日はなかった征士は、この一ヶ月ほどの帰省で当麻と会えない辛さを心底味わったのだ。
東京に戻ったその足で、征士は当麻のアパートに行き、土産の萩の月五個入りを手渡しながら、当麻に素直な気持ちをぶつけた。
男にそんなことを言われても、どうしていいかわからない。
それがその時の当麻の返事だった。多少困惑した表情で。しかし当麻はその後、征士と会いたがらないというわけでもなかった。それでもしぶとく二、三日に一度は会いに来る征士を、当麻はそれまでとまったく変わらない態度で迎え、一緒に食事をしたり、自分のアパートの部屋へ征士を上げてビールを飲みながら四方山話をしたりした。征士はそれを、恋人として受け入れることはできないが、友人としては今まで通りに付き合ってくれるという当麻の返答なのだろうと理解して、それ以上を求めることを一旦は諦めることにしたのだった。
「そう、お前のこと」
当麻は征士の顔を正面にしっかりと捉え、それからやや神妙な顔になり、持っていたチョコレートを突き出した。
「受け取ってくれ」
何だかよくわからないまま、征士はその差し出されたチョコレートを受け取った。
「何だこれは」
受け取ったチョコレートを見て、眉を寄せて当麻を見る。
「何って。チョコレートだろう」
当麻もつられて同じ顔になる。
「それはわかるが……」
征士はもう一度、自分の手にある赤いラインの簡易なパッケージに包まれた、ハート型のチョコレートを眺めた。
当麻はひとつ、白いため息をついた。
「まぁ、いい。お前はどうせ明日と明後日、学校でたくさんもらってくるんだろう」
「何をだ」
「チョコレートだよ」
当麻はどうにも噛み合わない会話に口を尖らせた。
「チョコレート……?」
「もらうんだろう? 手作りやら、何だかいい箱に入ったのやら。そういうのには、どうしたって俺は勝てる気がしないから、せめて誰よりも早く持って行こうと思ってな」
今の時期とチョコレート。ここまできてその意味がようやく繋がった征士は、ハッとして当麻の顔を見た。
「バレンタインか」
「そうだよ。……お前さぁ、それ天然なんだよなぁ。参るよなぁ」
当麻は寒さで赤くなっている鼻の頭を手袋を外したままの右手でポリポリとかいた。
「バレンタインか……」
「そ。気づくの遅すぎるよ、お前」
当麻はまた笑う。
実は。
昨日、征士はまだ二月十日なのにもかかわらず、同じ講義を受けている(らしい。征士に面識はなかったのだが)女子学生からチョコレートをもらったていたのだ。豪華なリボンが綺麗にかけられた真っ赤な包み。そのことをにわかに思い出した。しかしそのことは、征士はこの瞬間まですっかり忘れてしまっていたのだし、せっかくなのでそのまま忘れていることにした。
当麻は一歩歩み寄ると、征士が持っているチョコレートにそっと指先を重ねた。当麻の吐く息が征士のすぐ目の前に白くふわりと浮かんで消える。
「チョコレートの山を見て、自分が食べたいと思うより先に、誰かにプレゼントしたいなんて思ったのは初めてなんだ」
「そうか」
征士も当麻の手が添えられた、自分の手の中にあるチョコレートをじっと見つめた。
「だからさ。俺も、そういうことなのかなと思って」
「そういう、とは?」
「だから!」
当麻は征士の手から、チョコレートをひったくるように取り上げた。
「何なのだ」
征士はただ驚いて、今度は目の周りまで赤くなった当麻を見る。
「答えだよ! この前の」
「……この前の?」
ニットの帽子とマフラーの間から目だけ出ている状態で、当麻は征士を睨む。
「お前のその鈍さは一体何なんだ? わざとか? バレンタインにチョコレートをやりたいってことは、そういうことだろう? 全部言わないとわからないのか?」
征士はポカンとしたまま、当麻を見ている。
「とにかくこれ、一度はお前にやったからな。でもどうせお前はチョコなんか食べないんだろうから、俺が食べる」
そう言って当麻はミトンの左手でチョコレートを持ち、寒さでかじかんだ右手でパッケージを開けようとするが、上手くいかない。征士はそんな当麻の手元から、ひょいとチョコレートをつまみあげて取り返す。
「私が食べる」
「え?」
今度は当麻が驚いて征士を見る。
征士の目は、今度は笑っていなかった。
「食べる」
その真剣な眼差しに飲まれて、当麻は垂れた目を見開いて、パチパチと瞬きした。
「え? 何? そんな義理立てしなくていいんだぜ? いつも食べないじゃないか。チョコレートなんて」
もう一度その手に取り返そうと当麻が手を伸ばす。征士は小さな包みを後ろ手にサッと隠した。
「食べる。生まれて初めて、自分の好きな相手からもらったチョコレートだ。だから……」
征士は更に近づいた当麻の身体を片手でそっと抱き寄せた。
「おい!」
当麻は慌てて声を荒げるが、どうしていいのかわからずに、そのまま抱きすくめられている。この寒さのせいだろうか。天気は良いのに、公園に誰もこないのは幸いだ。
「いや、そうだな。食べてしまうのももったいないから、大切にとっておこう」
そう言って征士は、チョコレートを自分のジャンバーのポケットにしまい、改めて両腕で当麻を抱きしめた。
「なんだよそれ」
当麻は小さく笑い、その腕から逃れることは諦めて征士の肩に顎をのせ、ニット帽の頭を征士の頭にそっと寄せた。
征士の下宿から遠く電話の呼び出し音が聞こえてくる。それが止まって、カラカラと玄関の戸の開く音がする。
「伊達く……」
征士を呼ぶおかみさんの元気な声が、途中で途切れる。慌てて離れようとする当麻を、征士はもう一度、当麻の身体に回した腕に力を込めた。
「おい!征士!」
「ありがとう、当麻」
「わかった!わかったから!」
ジタバタする当麻を征士はようやく放すと、玄関で目を丸くしているおかみさんに手を挙げて返事をした。
「今、行きます!」
そして当麻の手袋をしていない方の手を取り、ただ呆気にとられているその手を引いて下宿の玄関に向かう。
開け放した下宿の玄関では、おかみさんが待ち構えていて、当麻は慌てて挨拶をした。カラカラと下宿の玄関の戸が閉まる。
「伊達君の大事なお客さんかい。お茶いれるよ」
おかみさんの元気な声が、公園の滑り台まで聞こえてきた。
おわり
バレンタインネタです。
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「伊達くーん、友達が来てるよ! 前の公園で待ってるって」
階下から下宿のおかみさんに呼ばれて、征士は大きな声でドアの向こうの廊下に向かって返事を返す。そして二階の自分の六畳間の窓を開け、外を覗いた。部屋の中のストーブで暖まった少し灯油の匂いのする空気と、キンキンに冷えた外の空気とが入れ替わる。
すぐ目の前にある錆びた滑り台とブランコがあるだけの小さな公園に、見慣れた長身が立ってこちらを見上げていた。
「当麻!」
征士の住まいは今時ちょっと珍しいタイプで、電話は御歳七十歳で大家で管理人の「おかみさん」が取り次いでくれる。風呂も便所も共用の、昔ながらの下宿だ。
地元仙台の大学へ進学することを望む家族(主に祖父と母だが)に無理を通して東京に出てきた征士は、学費以外の援助を一切断っていた。生活費は家庭教師と短期のバイトを様々掛け持ちして何とか賄っているので、安くて面倒見のいい、何より食事が付いているこの下宿は、征士にとってはありがたい。
「おー。降りて来いよ」
東京の冬にしてはいささか大げさにも思える革製のミトンの手袋をした右手を当麻は挙げて見せた。
征士に比べて当麻は、経済的にはあまり苦労のない学生生活を送っている。何の躊躇も葛藤もなく自分の一番興味のある研究をしている教授がいる都内の某私立大学を選び、親に大した相談もせずに受験。両親は当麻が合格を知らせると「そう(か)。おめでとう」と異口同音に言って、あとは当麻が必要だと言っただけの金を、当然のように毎月仕送りしてくれている。
高校生の三年間は、仙台と大阪に遠く離れて暮らしていた二人だった。征士はマメに当麻に電話を入れて当麻の意中の大学を聞き出し、できるだけその近くで征士のしたい勉強のできる大学を選んだ。少なくとも四年間は当麻のそばにいられるように。その四年間のうちの半分が、もうすぐ終わろうとしている。
昨日、珍しく少しだけ積もった雪が、公園の隅の電話ボックスの上に、まだ凍りついたままだ。
冬になると二言目には「東京は寒い」が口癖の当麻は、紺色のダッフルコートの首元に長いマフラーをグルグル巻きにして、そこに顔半分をすっぽりと埋めている。ニットの帽子も深々とかぶって。
それでも声がはっきりと聞こえてくる気がするのは、それが当麻の声だからなのだろうと、征士は自分の陥ってしまった穴の深さを思って苦笑いする。
「今行く!」
征士は急いで窓を閉め、壁のフックにに掛けてあったジャンバーを羽織ると部屋を出た。
「お前から訪ねて来るとは珍しいな」
白い息を吐き出してはそれを眺めている当麻の元に、征士は息を弾ませて駆けつけた。
「そうだろう」
当麻はなぜか胸を張って見せた。
「これ、お前に渡しに来たんだ」
当麻は手袋をしたまま、コートのポケットに手を無理に突っ込んでみたが、革のミトンでは何ができるものでもない。小さく舌打ちして手袋を外し、もう一度ポケットに手を入れた。取り出したのは、スーパーやコンビニでよく見かけるハート型のピーナツチョコレートだ。
「買物に行ったら、店に入ってすぐのところにこれが山積みになっててさ。そしたら思い出したんだ。お前のこと」
当麻は手にしたチョコレートに目を落として言った。
「私のこと?」
征士が当麻に数年来溜め込んできた思いのたけを打ち明けたのは、今からちょうど一ヶ月ほど前のことだった。
これまで長い休みは東京にいてバイトに明け暮れていた征士だったが、この冬は自分の成人式があったこともあり、冬休みのはじめから成人式まで仙台の実家に戻っていた。実家の道場の手伝いをして、いくらかのバイト代を稼ぎながら。
上京して以来、他の仲間達にどうしてそんなに懐いているのだと笑われるほど当麻のアパートに、学校に、バイト先に通い詰め、三日以上当麻と顔を合わせない日はなかった征士は、この一ヶ月ほどの帰省で当麻と会えない辛さを心底味わったのだ。
東京に戻ったその足で、征士は当麻のアパートに行き、土産の萩の月五個入りを手渡しながら、当麻に素直な気持ちをぶつけた。
男にそんなことを言われても、どうしていいかわからない。
それがその時の当麻の返事だった。多少困惑した表情で。しかし当麻はその後、征士と会いたがらないというわけでもなかった。それでもしぶとく二、三日に一度は会いに来る征士を、当麻はそれまでとまったく変わらない態度で迎え、一緒に食事をしたり、自分のアパートの部屋へ征士を上げてビールを飲みながら四方山話をしたりした。征士はそれを、恋人として受け入れることはできないが、友人としては今まで通りに付き合ってくれるという当麻の返答なのだろうと理解して、それ以上を求めることを一旦は諦めることにしたのだった。
「そう、お前のこと」
当麻は征士の顔を正面にしっかりと捉え、それからやや神妙な顔になり、持っていたチョコレートを突き出した。
「受け取ってくれ」
何だかよくわからないまま、征士はその差し出されたチョコレートを受け取った。
「何だこれは」
受け取ったチョコレートを見て、眉を寄せて当麻を見る。
「何って。チョコレートだろう」
当麻もつられて同じ顔になる。
「それはわかるが……」
征士はもう一度、自分の手にある赤いラインの簡易なパッケージに包まれた、ハート型のチョコレートを眺めた。
当麻はひとつ、白いため息をついた。
「まぁ、いい。お前はどうせ明日と明後日、学校でたくさんもらってくるんだろう」
「何をだ」
「チョコレートだよ」
当麻はどうにも噛み合わない会話に口を尖らせた。
「チョコレート……?」
「もらうんだろう? 手作りやら、何だかいい箱に入ったのやら。そういうのには、どうしたって俺は勝てる気がしないから、せめて誰よりも早く持って行こうと思ってな」
今の時期とチョコレート。ここまできてその意味がようやく繋がった征士は、ハッとして当麻の顔を見た。
「バレンタインか」
「そうだよ。……お前さぁ、それ天然なんだよなぁ。参るよなぁ」
当麻は寒さで赤くなっている鼻の頭を手袋を外したままの右手でポリポリとかいた。
「バレンタインか……」
「そ。気づくの遅すぎるよ、お前」
当麻はまた笑う。
実は。
昨日、征士はまだ二月十日なのにもかかわらず、同じ講義を受けている(らしい。征士に面識はなかったのだが)女子学生からチョコレートをもらったていたのだ。豪華なリボンが綺麗にかけられた真っ赤な包み。そのことをにわかに思い出した。しかしそのことは、征士はこの瞬間まですっかり忘れてしまっていたのだし、せっかくなのでそのまま忘れていることにした。
当麻は一歩歩み寄ると、征士が持っているチョコレートにそっと指先を重ねた。当麻の吐く息が征士のすぐ目の前に白くふわりと浮かんで消える。
「チョコレートの山を見て、自分が食べたいと思うより先に、誰かにプレゼントしたいなんて思ったのは初めてなんだ」
「そうか」
征士も当麻の手が添えられた、自分の手の中にあるチョコレートをじっと見つめた。
「だからさ。俺も、そういうことなのかなと思って」
「そういう、とは?」
「だから!」
当麻は征士の手から、チョコレートをひったくるように取り上げた。
「何なのだ」
征士はただ驚いて、今度は目の周りまで赤くなった当麻を見る。
「答えだよ! この前の」
「……この前の?」
ニットの帽子とマフラーの間から目だけ出ている状態で、当麻は征士を睨む。
「お前のその鈍さは一体何なんだ? わざとか? バレンタインにチョコレートをやりたいってことは、そういうことだろう? 全部言わないとわからないのか?」
征士はポカンとしたまま、当麻を見ている。
「とにかくこれ、一度はお前にやったからな。でもどうせお前はチョコなんか食べないんだろうから、俺が食べる」
そう言って当麻はミトンの左手でチョコレートを持ち、寒さでかじかんだ右手でパッケージを開けようとするが、上手くいかない。征士はそんな当麻の手元から、ひょいとチョコレートをつまみあげて取り返す。
「私が食べる」
「え?」
今度は当麻が驚いて征士を見る。
征士の目は、今度は笑っていなかった。
「食べる」
その真剣な眼差しに飲まれて、当麻は垂れた目を見開いて、パチパチと瞬きした。
「え? 何? そんな義理立てしなくていいんだぜ? いつも食べないじゃないか。チョコレートなんて」
もう一度その手に取り返そうと当麻が手を伸ばす。征士は小さな包みを後ろ手にサッと隠した。
「食べる。生まれて初めて、自分の好きな相手からもらったチョコレートだ。だから……」
征士は更に近づいた当麻の身体を片手でそっと抱き寄せた。
「おい!」
当麻は慌てて声を荒げるが、どうしていいのかわからずに、そのまま抱きすくめられている。この寒さのせいだろうか。天気は良いのに、公園に誰もこないのは幸いだ。
「いや、そうだな。食べてしまうのももったいないから、大切にとっておこう」
そう言って征士は、チョコレートを自分のジャンバーのポケットにしまい、改めて両腕で当麻を抱きしめた。
「なんだよそれ」
当麻は小さく笑い、その腕から逃れることは諦めて征士の肩に顎をのせ、ニット帽の頭を征士の頭にそっと寄せた。
征士の下宿から遠く電話の呼び出し音が聞こえてくる。それが止まって、カラカラと玄関の戸の開く音がする。
「伊達く……」
征士を呼ぶおかみさんの元気な声が、途中で途切れる。慌てて離れようとする当麻を、征士はもう一度、当麻の身体に回した腕に力を込めた。
「おい!征士!」
「ありがとう、当麻」
「わかった!わかったから!」
ジタバタする当麻を征士はようやく放すと、玄関で目を丸くしているおかみさんに手を挙げて返事をした。
「今、行きます!」
そして当麻の手袋をしていない方の手を取り、ただ呆気にとられているその手を引いて下宿の玄関に向かう。
開け放した下宿の玄関では、おかみさんが待ち構えていて、当麻は慌てて挨拶をした。カラカラと下宿の玄関の戸が閉まる。
「伊達君の大事なお客さんかい。お茶いれるよ」
おかみさんの元気な声が、公園の滑り台まで聞こえてきた。
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