たいいくのひ
since November 22th 2012
【072】11月22日
blue-dragonのちゃむさんと、とあるお題でそれぞれに書きましょうという企画。
10月末までに出す予定だったのですが、大幅に遅刻してしまいましたf^_^;
サイトもとうとう開設から丸二年がたちました。
いつも読みに来てくださる方に感謝感謝です。
緑青です。
**********
玄関の傘立てに二本、寄り添って立っている傘から、征士は一本を引き抜いた。
「雨が降るのか?」
寝起きのままの部屋着でようやく玄関まで出てきた当麻は、大きなあくびを一つして尋ねる。
「ああ。天気予報ではそう言っていた。昼前から降り出すらしい」
征士は何気なく傘を自分の目の高さまで持ち上げ、その上品なグレーがかった紫の傘の色や、細身な形を確かめるように眺めてから、トントンとその先を三和土に小気味良く響かせた。
「長いの持って行くのか。まだ降ってないんだろう」
当麻は何気なく、傘の柄を握る征士の右手を見てから、スーツ姿によく似合う、いかにも仕事ができる男という風情の鞄の、しっかりとした革の持ち手を握る左手に視線を移す。長く大きな太刀を振るっていたその手は、もう竹刀すらめったに振らなくなって久しいが、いまだ肉厚でたくましさを保っている。
「昼に外で人と会う用があるのだ。その頃には、おそらく降り始めているだろうからな」
征士は傘を横にして鞄の持ち手と一緒に左手に握り直すと、
「いってきます」
とドアのレバーを回した。
「そうだ、征士」
背中にかけられた当麻の声に、征士の押したドアは隙間まだわずか五センチメール開いたところで止まる。
「今日俺、昼間出かけるから。映画観るんだ」
「そうか」
当麻の話に、征士はたいして表情も変えずにそう一言答えると、今度は一息にドアを押し開いた。マンションの通路の向こうに見える細長く四角く切り取られた空には、今にも降り出しそうに重く雲が垂れ込めている。二度目の「いってきます」と共に、征士は出かけて行った。
「いってらっしゃーい」
いつもの通り、やや気の抜けたような声で、当麻は見送りの言葉をつぶやく。すでにそこに姿の見えない征士には、聞こえたのかどうかも定かではない。
何かが引っかかっている。のろのろとダイニングに戻ると、当麻は征士が消して行ったTVのスイッチを入れ、そのくせ画面を眺めることもなく考え始める。
映画を観に行くと言ったのだ。どこにとか、何をとか。それから、誰と、とか。聞いてもらいたい訳ではないが、普段の征士なら根掘り葉掘り聞いてくるのだ。その言葉がなかったことに、どうにも埋めがたい物足りなさが残っているのだと思う。
そして、もう一つ。ここ数日、当麻が気にするまいと思いつつ、しかしやっぱり気になってしまっていること。
征士の指に、指輪がない。
揃いであつらえたリングの片割れは、当麻の自室のパソコンのモニターの上に、いつもちょこんと載せられている。それは当麻のリングだ。紆余曲折の末に買ってきたその日から、そこが当麻のリングの定位置だった。
「せっかく作ったのに、身に着けないのか」
征士ははじめ、当麻が指輪を着けずにそこに置いていることを至極残念がって、何度かそんなことを言った。しかし散々渋っていた当麻がとうとう一緒に店に足を運んで、揃いの指輪を作らせたのだ。それだけでも上出来であろうと、身に着けてもらうことについてはそのうちに諦めたようだった。
そんな当麻の指輪に対して、征士のリングはいつもさり気なく、しかし堂々と征士の左手の薬指にあった。確かに、数日前までは。
征士の指から指輪が消えてすぐに気づいたのか、それとももっと前から指輪はなかったのか、当麻にはわからなかった。征士の指にあの指輪があることは、当麻にとって意識の端にも上らない、空気のように当たり前なものになっていたから。
それが夕食を家で二人で食べていた時に、ふと当麻の目についた。その時にすぐ、一言聞いておけばよかったのだ、と今更ながら当麻は思う。
「指輪はどうしたんだ」
と。
だがその時、当麻は聞かなかった。もしくは、聞けなかったのかもしれない。一瞬、そこに気まずい空気が流れた。おそらく同じ瞬間に征士も感じたのだ。当麻が指輪のないことに気づいたと。しかし二人はそれこそ阿吽の呼吸で、指輪がないというできごとも、そこに生まれたおかしな空気も、次の瞬間にはさらりとなかったことにしてしまったのだ。
そしてなんとなく当麻はそれ以上、指輪について何も言えなくなってしまった。
小さなため息を一つついて、当麻は出かける準備を始める。窓の外の空は相変わらず暗い。征士の言っていた通り、じきに降り出すのだろう。折りたたみの傘を持って行こうかと考えて、そう言えば先月、電車の中に置き忘れて失くしてしまったことを思い出す。
折り畳み傘は、何かの記念というわけではなかったが、征士が当麻に買ってくれたものだった。当麻は失くしてすぐ、そのことをすぐに征士に話したが、
「まったく。傘を失くすくらいならいいが、あまりボーっと考えごとをして、ホームに落ちたりしないでくれよ」
と、冗談めいた苦言を呈されただけだった。自分で買った安い傘ならばすぐにあきらめるところだが、さすがに当麻も遺失物係に電話などしてみたりした。しかし誰に拾われてしまったのか、折り畳み傘はとうとう出てはこなかった。
ここしばらく征士は帰りが遅い。携帯に着信があると、それを持って部屋を出て行き何やら話しているし、そのあとに要件について話してくれることもない。
「………ま、いいか」
全てをその一言で片付けて、傘を持たずに当麻は家を出た。
*
「まったく。つくづくお前じゃないみたいだよな」
落ち込んだ気持ちやどんよりとした天気にもかかわらず、楽しみにしていた映画は期待通りに面白かった。当麻はファミレスのテーブルの上の、大盛りのランチ二人分と山盛りのポテトフライを挟んで向こうに座る秀を、改めてしげしげと眺める。
「へへ。たまにはこういうのもいいだろ。見直したか」
オーバーオールのイメージが強い、いつものざつくりと可愛らしさのあるスタイルと違い、今日の秀はシックなジャケットで決めていた。
「カッコいいよ」
当麻が微笑んでそう言うと、
「何だよ。今日はヤケにやけに素直だなぁ」
照れた秀はポテトを二本一度に摘まんで口に放り込んだ。秀は仕事の休みがいつも平日なので、平日でもつきあえる当麻をたまに誘い出す。秀は意外な映画好きで、午前中の空いた映画館で映画を見て、昼ご飯を食べるのは定番のコースだった。
「彼女がさ、見立ててくれたんだ。たまにはこんなのもいいだろうって」
「なるほどね。よく似合ってる」
秀の彼女は去年まで大学生で、当麻は彼女の卒論の資料集めに付き合ったことがあった。秀に似合いの、元気で可愛らしい女性だった。
「あ、あれ、征士じゃねぇか?」
「ん?」
今度は三本いっぺんにポテトを口に放り込んだ秀が指差した方向に当麻は振り返り、窓の外を見た。レストランが面する通りは、二人が店に入ったあとに降り出した雨ですっかり濡れているが、昼時なのでそこそこの人通りがある。その中で、一際目立つ男女が一本の傘の中に納まって歩いていた。
「一緒にいるの、顔はよく見えないけどありゃ相当の美人だな。あれ、征士の彼女か?」
二人は後ろ姿だったが、当麻が征士を見間違えるはずがない。差しているのは、征士が朝持って行った傘だ。傘は、持っている征士より、一緒に入っている女性の方に幾分傾けられている。征士の反対の肩は濡れてしまっているのではないだろうか。そんな二人は秀が言った通り、仲睦まじい恋人同士に見えた。
「いや、………知らないけど」
当麻は口元に運ぼうとしていたドリンクバーのホットコーヒーが入ったカップを、コトン、とテーブルの上に置いた。目は外の二人を追ったままに。
「そういう話、聞かないのかよ。一緒に住んでて」
「ああ………うん。そうだな。聞いてない」
秀は知らない。
秀だけではない。伸も遼もナスティも、征士と当麻の同居は気の合う二人の単なるルームシェアだと思っている。二人の関係が、同性にもかかわらず恋愛感情を伴うものだということ。その事実を、一番の理解者であって欲しいし、ありたいと思ってくれているだろう仲間達にまだ打ち明けていないことは、いつも二人の気にかかっているところだった。しかしこれといって言い出すきっかけもなく、今に至ってしまっている。
「あれは彼女だろ。まぁいるよな、征士なら。彼女の一人や二人や三人。放っとかれねぇもんなぁ。チクショー」
茶化す秀のそんな声が、なんだか遠くに聞こえる。
顔も見えないのに、秀もいい加減なことを言うと思ったが、確かに顔は見えなくても、美しい人だろうと遠目に伝わってくる。
二人はそのまま歩いて、人ごみの向こうに見えなくなった。
*
当麻は主に在宅で仕事をしているため、当麻が家にいて征士が仕事に出かけている日は、たいてい当麻が夕食を作る。でも今日の当麻は、どうにも料理をする気になれなかった。ソファの背もたれに完全に身体をあずけて、ため息をつく。
消化しきれない感情を、完全に持て余していた。
時計が時を刻む音だけが響く部屋で、当麻はただ考え続ける。
そもそも征士の気持ちが自分に向いていることが奇跡なのだ。それがいつの日か気持ちが離れ、別れることになるなんてことは、充分に予想の範囲内の出来事だ。女性と普通に恋愛した方が、征士は幸せなのに決まっている。自分さえさっさと諦めてしまえば、それでめでたく終わりなのだ。
当麻がそう思い込もうとすればするほど、思考は本人の望まない勝手な方向へぐるぐると巡り出す。変な意地を張らないで指輪をしていたら、こんな結果にはならなかったのか。征士がキスをくれるとき、もっと素直に嬉しい顔をしていれば。もらった傘を失くした時、俺、ちゃんと征士に謝ったっけ・・・・・・。取り返しのつかない小さなタラレバが次から次へと湧き出してきて止まらない。
「あきらめの悪い男………か」
子どもの頃から、願っても仕方のないことは、たくさんあきらめてきたはずなのに。
征士の傘の中にいた、あの女性の姿が目の前にちらつく。長い髪。小柄な身体に、ひらひらした紫色のワンピースを着ていた。細い足に、高いヒールの靴を履いて。
胸がざわざわして気持ちが悪い。当麻は左手で、シャツの胸のあたりをギュッとつかんだ。
その時、玄関から鍵を開ける音が聞こえた。
仕事帰りの征士を迎えることが、これほど憂鬱だったことはない。何と言って迎えたらいいのかもわからない。当麻は顔も上げず、ただ意識だけを、玄関から入ってくるだろうリビングの扉へ向けた。
「ただいま」
そんな当麻の沈みきった気持ちとは裏腹に、玄関からリビングまで聞こえてきた征士の声は明るかった。
「……ただいま」
征士はリビングの扉を開けて顔を覗かせると、ソファに座る当麻に、もう一度声をかけた。
当麻の頭の中には、昼間の光景がフラッシュバックする。そんなに嬉しそうに帰ってくるなんて、彼女とどんな良いことがあったのだろう。最低な気分に拍車がかかる。
「どうした?」
おかえりとも言わずに黙っている当麻の様子に、征士はようやく、いつもと違う何かを感じたらしい。征士を見もしない当麻を横目で見ながらリビングを横切り、自室に荷物と手早く脱いだ上着をを置くと、すぐにリビングに戻ってきた。
「飯は?」
「ない。食いたくない」
ネクタイを緩めながら、相変わらずソファに沈んで、身勝手かつそっけない返事をする当麻を、征士は軽いため息とともに正面から見下ろした。
「映画は楽しくなかったのか」
「別に。……面白かったけど」
覗き込む征士の視線から、当麻は顔を背けてふいと逃げる。
「そうか」
そう言って、征士はテーブルの上のテレビのリモコンを拾い上げると、電源を入れ、またリモコンをテーブルの上に放った。そのリモコンを当麻はすぐに取り上げて、テレビを消す。テレビの画面は明るくなる間もなく、プツン、と小さな音を立てて静かになった。
「一体、どうしたのだ」
征士はまたひとつ小さなため息をつく。
「どうもしない。お前こそ妙に嬉しそうじゃないか。何かあったのか」
昼間の彼女と、と続けようと思ったが、そこは言葉にならなかった。
「わかるか」
その声音から顔を見なくても、当麻には征士の浮き立った気持ちが伝わる。
「嬉しいことはあった」
「へぇ」
気のない返事を返して、やはり自分を見ようともしない当麻の顔の前に、征士は左手の甲を差し出して見せた。
「………あ」
「な」
征士の左手の薬指には、馴染みの指輪が鈍く輝いていた。当麻はやっと顔を上げた。
「指輪・・・・・・」
「やはり気づいていたのだな」
征士はキッチンに行って小さなケトルに水を入れ、火にかけた。冷蔵庫からコーヒー豆を取り出し、手回し式のミルを出してそれに入れると、カリカリと豆を挽く。芳ばしい香りが当麻の鼻に届く。
「失くしたと、早くお前に話せば良かったのだが、経緯が経緯だったので、なんとなく言い出しにくかったのだ。指輪は会社で失くしたのだが、今日隣のデスクの引き出しから出てきた。拾った人が・・・・・・おそらく掃除のおばさん辺りだろうが、気を利かせて一つ隣にしまってくれたらしい。滅多に開けない引き出しだったらしく、デスクの主が今日になってようやく見つけてくれた」
挽いた豆を、フィルターを敷いたドリッパーに移す。
「取引先の社長に見初められたらしくてな」
征士は当麻の顔を見て、苦笑する。
「男じゃないぞ。若い女性だ」
それが、あの女性か。
当麻はすぐに見当をつけたが、昼間、二人の姿を見たことは黙っていた。
「それでな。・・・・・・あれはちょうど一週間前か。課長に指輪をはずして営業に行くように言われたのだ」
コンロの火を止め、湧いたお湯を静かに注ぐ。
「そのような営業は不本意ではあるが、同期の開発の奴らの苦労も知っているからな。どうしても製品を見てもらえるところまではこぎつけたかった」
湯を注ぎ、湧きあがったコーヒーの粉が沈んで落ち着くのを、征士はじっと待つ。そして、また湯を注ぐ。
「自分のデスクで、外そうか、いや、独身であると嘘をつくことは、やはり人の道に反するのではないかと悩みに悩んで………」
「独身だろうが」
当麻がそこでようやく一言、可愛くない合いの手を入れた。征士はポットに出来上がったコーヒーを用意した二つのマグカップにそれぞれ注ぐと、それを持って当麻のもとに戻る。ソファの前の低いテーブルにカップを置くと、当麻の右隣の定位置に座った。
「独身ではないぞ。永遠の伴侶がここにいるのだから」
そう言うと征士は当麻の後ろに腕を回し、その肩をギュッと抱き寄せた。抱かれた肩に当麻が目をやれば、力のこもったその長い指には、見慣れた指輪がきちんと収まっている。
いつものことではあるが、さらりと、とんでもなく気障な台詞を吐く征士に、当麻は逃げ出したいような恥ずかしさと、ほっとする気持ちがないまぜになり、ほんの少しだけ泣きたくなる。
「で?」
それをごまかそうと、当麻は湯気の上がる目の前のカップを手に取った。
「お前にメールでもして伺いを立ててからとも思ったが」
征士は、そんな当麻の心中を知ってか知らずか、当麻のいる方とは反対の、空いている右の手を伸ばして当麻の左手に触れる。
「あまりにも指輪に固執していると、お前に笑われるかとも思ったりしてな」
そう言って笑う征士に当麻は笑い返すことはできず、自分の指輪のない左手を征士の右手に預けたまま、少し飲みにくそうに反対の手でコーヒーを一口飲んだ。
「それに、お前に聞いたらきっと、そんなことを悩んで無駄な時間を使ってないで、さっさと自分の仕事をしろと言われる気がしたのだ。で、覚悟して指輪を外したところで別の取引先から電話がかかってきてな。………それで、ほんの少し席を外しただけだったのに、戻ったら指輪がなかった」
征士は当麻の手を離すと、自分の左手の指輪にそっと触れ、優しい目でそれを眺めた。
「まぁ、そう言ったかもしれんな」
当麻も征士の指輪に目を遣った。
「デスクの上も下も散々探したが、こいつは出てこなかったのだ。それでまぁ、外したまま営業には行った」
「上手く行ったのか」
当麻は足をソファに上げて膝を抱えるようにすると、膝の上でカップを両手で包んだ。ふっと息を吹きかけて、立ち上がる湯気を飛ばす。
「上手くというのか……。指輪は結局のところ、どうでも良かったのだ。あの社長は初めから私の指輪には気づいていたのだそうだ。彼女は既婚者である私に興味があったらしい」
既婚者である、というところが強調されたその言葉に、当麻は眉間にしわを寄せた。
「何だよ、それ。趣味が悪いな」
ちびり、とまたコーヒーを一口飲み、カップをテーブルに戻す。
「本当だな。課長が勝手に私のケータイの番号を彼女に教えてしまったから、しょっちゅう電話はかかってくるし、まったく困ったことだった。しかしとりあえず、製品を見てもらうことはできることになったのだ。その前に一緒に食事をするということにはなってしまったが」
「それが今日だったワケか」
「………なぜ知っている」
征士は驚いて当麻を見た。
征士の指輪がなかった理由は分かった。何度もかかってきていた電話のわけも、その電話の相手らしいあの女性と会っていた経緯もわかった。なのにどういうわけか、胸の辺りがまだぐちゃぐちゃと気持ちの悪いままだった。当麻は抱えた膝に額をあてて、顔を隠したままつぶやく。
「見たからさ、昼間。相合傘のデートの真っ最中を」
ああ、と合点がいったという顔をして、征士はカップを取り一口飲んだ。それから、にわかにしかつめらしい表情を作る。
「そうだ。お前こそ、デートの最中だっただろう。あれは誰だ」
「え?」
今度は当麻が驚いて顔を上げた。
「指輪が出てきたのに安心して、あやうく忘れてしまうところだった。お前があの店で一緒にいた男だ。お前こそ、やたらといい顔で、その男に微笑んでいたな。あれは一体誰なのだ」
征士はカップをテーブルに置き、憮然とした顔のまま腕を組んだ。
「見ていたのか。窓際だったとは言え、よくわかったな」
「どこにいたって私がお前に気づかない訳がない。よっぽどあれが私の伴侶だと、彼女に教えてやろうかと思ったんだが・・・・・・。あんな顔をして、他の男とデートしているところではな」
征士の渋面と裏腹に、当麻の表情は少しずつ楽しいそれに変わる。
「ありゃ秀だ、秀」
「秀!?」
驚いた征士と、してやったりな顔の当麻。目が合って、そして、同時に吹き出す。とても秀には見えなかった。そうだろう、あれは秀の彼女がな・・・・・・とひとしきり、今日の秀の人騒がせなスタイルについて、笑いながら話は続いた。
「しかし」
すっかり笑顔に戻った征士が、話を区切る。
「お前が妬いてくれるとは、嬉しいな」
「妬いてる?」
当麻は垂れた目を丸くして征士を見た。その意外な反応に征士は当麻の顔を覗き込む。
「違うのか?」
「妬いてるのか、俺は。・・・・・・なるほど、そうか。やきもちか。・・・・・・そんな感情が俺にもあるんだな」
他のことなら何でも強気に挑戦していくことができるのに、友情だの恋だの愛だののことになると、失いそうになった途端に一線を引いて、自分から諦めてしまっていたのだ。それでも自分を愛して欲しい。あの人でなく、自分の方を向いて欲しい。そう思わなければ、嫉妬は生まれない。
嫉妬だったのか。あの気持ちの悪いざわざわは。名前がつけば、少し気持ちが楽になる。
「私など、いつも嫉妬している。お前のせいで・・・・・・」
征士はそっと顔を寄せ、ついばむように二、三度口づける。
「私は男にも女にも、親友にさえ嫉妬しなくてはならない。まったく、秀にまでやきもちを焼かなくてはならんとはな。面倒なことになったものだ」
「ごくろーさまです」
当麻が笑う。征士はほっとため息をついて座りなおすと、当麻の肩を抱き、耳元にそっと囁いた。
「当麻、お前は独身か?」
「………No」
なぜか英語でそう答えて、当麻は征士の肩に頭を寄せた。
指輪なんかしていなくても、伴侶なのだ。
でもその形となった永遠の約束に、時にはこうして一喜一憂させられるのもいいかもしれない。
たまには指輪もしてみるか。
「ところで当麻、腹は本当に減らないのか」
「ん? あ。そう言えば」
いいタイミングで当麻の胃が空腹の悲鳴を上げる。
行きつけの安い食堂へ行こう。
征士の左手に、当麻の右手をつないで。
おわり
**********
お題は「当麻が嫉妬する話」でしたv
「いい夫婦の日」も少し意識したので、このタイトルで(笑 uさんありがとー)
現在11月22日33時なのです。
そうなのです!
10月末までに出す予定だったのですが、大幅に遅刻してしまいましたf^_^;
サイトもとうとう開設から丸二年がたちました。
いつも読みに来てくださる方に感謝感謝です。
緑青です。
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玄関の傘立てに二本、寄り添って立っている傘から、征士は一本を引き抜いた。
「雨が降るのか?」
寝起きのままの部屋着でようやく玄関まで出てきた当麻は、大きなあくびを一つして尋ねる。
「ああ。天気予報ではそう言っていた。昼前から降り出すらしい」
征士は何気なく傘を自分の目の高さまで持ち上げ、その上品なグレーがかった紫の傘の色や、細身な形を確かめるように眺めてから、トントンとその先を三和土に小気味良く響かせた。
「長いの持って行くのか。まだ降ってないんだろう」
当麻は何気なく、傘の柄を握る征士の右手を見てから、スーツ姿によく似合う、いかにも仕事ができる男という風情の鞄の、しっかりとした革の持ち手を握る左手に視線を移す。長く大きな太刀を振るっていたその手は、もう竹刀すらめったに振らなくなって久しいが、いまだ肉厚でたくましさを保っている。
「昼に外で人と会う用があるのだ。その頃には、おそらく降り始めているだろうからな」
征士は傘を横にして鞄の持ち手と一緒に左手に握り直すと、
「いってきます」
とドアのレバーを回した。
「そうだ、征士」
背中にかけられた当麻の声に、征士の押したドアは隙間まだわずか五センチメール開いたところで止まる。
「今日俺、昼間出かけるから。映画観るんだ」
「そうか」
当麻の話に、征士はたいして表情も変えずにそう一言答えると、今度は一息にドアを押し開いた。マンションの通路の向こうに見える細長く四角く切り取られた空には、今にも降り出しそうに重く雲が垂れ込めている。二度目の「いってきます」と共に、征士は出かけて行った。
「いってらっしゃーい」
いつもの通り、やや気の抜けたような声で、当麻は見送りの言葉をつぶやく。すでにそこに姿の見えない征士には、聞こえたのかどうかも定かではない。
何かが引っかかっている。のろのろとダイニングに戻ると、当麻は征士が消して行ったTVのスイッチを入れ、そのくせ画面を眺めることもなく考え始める。
映画を観に行くと言ったのだ。どこにとか、何をとか。それから、誰と、とか。聞いてもらいたい訳ではないが、普段の征士なら根掘り葉掘り聞いてくるのだ。その言葉がなかったことに、どうにも埋めがたい物足りなさが残っているのだと思う。
そして、もう一つ。ここ数日、当麻が気にするまいと思いつつ、しかしやっぱり気になってしまっていること。
征士の指に、指輪がない。
揃いであつらえたリングの片割れは、当麻の自室のパソコンのモニターの上に、いつもちょこんと載せられている。それは当麻のリングだ。紆余曲折の末に買ってきたその日から、そこが当麻のリングの定位置だった。
「せっかく作ったのに、身に着けないのか」
征士ははじめ、当麻が指輪を着けずにそこに置いていることを至極残念がって、何度かそんなことを言った。しかし散々渋っていた当麻がとうとう一緒に店に足を運んで、揃いの指輪を作らせたのだ。それだけでも上出来であろうと、身に着けてもらうことについてはそのうちに諦めたようだった。
そんな当麻の指輪に対して、征士のリングはいつもさり気なく、しかし堂々と征士の左手の薬指にあった。確かに、数日前までは。
征士の指から指輪が消えてすぐに気づいたのか、それとももっと前から指輪はなかったのか、当麻にはわからなかった。征士の指にあの指輪があることは、当麻にとって意識の端にも上らない、空気のように当たり前なものになっていたから。
それが夕食を家で二人で食べていた時に、ふと当麻の目についた。その時にすぐ、一言聞いておけばよかったのだ、と今更ながら当麻は思う。
「指輪はどうしたんだ」
と。
だがその時、当麻は聞かなかった。もしくは、聞けなかったのかもしれない。一瞬、そこに気まずい空気が流れた。おそらく同じ瞬間に征士も感じたのだ。当麻が指輪のないことに気づいたと。しかし二人はそれこそ阿吽の呼吸で、指輪がないというできごとも、そこに生まれたおかしな空気も、次の瞬間にはさらりとなかったことにしてしまったのだ。
そしてなんとなく当麻はそれ以上、指輪について何も言えなくなってしまった。
小さなため息を一つついて、当麻は出かける準備を始める。窓の外の空は相変わらず暗い。征士の言っていた通り、じきに降り出すのだろう。折りたたみの傘を持って行こうかと考えて、そう言えば先月、電車の中に置き忘れて失くしてしまったことを思い出す。
折り畳み傘は、何かの記念というわけではなかったが、征士が当麻に買ってくれたものだった。当麻は失くしてすぐ、そのことをすぐに征士に話したが、
「まったく。傘を失くすくらいならいいが、あまりボーっと考えごとをして、ホームに落ちたりしないでくれよ」
と、冗談めいた苦言を呈されただけだった。自分で買った安い傘ならばすぐにあきらめるところだが、さすがに当麻も遺失物係に電話などしてみたりした。しかし誰に拾われてしまったのか、折り畳み傘はとうとう出てはこなかった。
ここしばらく征士は帰りが遅い。携帯に着信があると、それを持って部屋を出て行き何やら話しているし、そのあとに要件について話してくれることもない。
「………ま、いいか」
全てをその一言で片付けて、傘を持たずに当麻は家を出た。
*
「まったく。つくづくお前じゃないみたいだよな」
落ち込んだ気持ちやどんよりとした天気にもかかわらず、楽しみにしていた映画は期待通りに面白かった。当麻はファミレスのテーブルの上の、大盛りのランチ二人分と山盛りのポテトフライを挟んで向こうに座る秀を、改めてしげしげと眺める。
「へへ。たまにはこういうのもいいだろ。見直したか」
オーバーオールのイメージが強い、いつものざつくりと可愛らしさのあるスタイルと違い、今日の秀はシックなジャケットで決めていた。
「カッコいいよ」
当麻が微笑んでそう言うと、
「何だよ。今日はヤケにやけに素直だなぁ」
照れた秀はポテトを二本一度に摘まんで口に放り込んだ。秀は仕事の休みがいつも平日なので、平日でもつきあえる当麻をたまに誘い出す。秀は意外な映画好きで、午前中の空いた映画館で映画を見て、昼ご飯を食べるのは定番のコースだった。
「彼女がさ、見立ててくれたんだ。たまにはこんなのもいいだろうって」
「なるほどね。よく似合ってる」
秀の彼女は去年まで大学生で、当麻は彼女の卒論の資料集めに付き合ったことがあった。秀に似合いの、元気で可愛らしい女性だった。
「あ、あれ、征士じゃねぇか?」
「ん?」
今度は三本いっぺんにポテトを口に放り込んだ秀が指差した方向に当麻は振り返り、窓の外を見た。レストランが面する通りは、二人が店に入ったあとに降り出した雨ですっかり濡れているが、昼時なのでそこそこの人通りがある。その中で、一際目立つ男女が一本の傘の中に納まって歩いていた。
「一緒にいるの、顔はよく見えないけどありゃ相当の美人だな。あれ、征士の彼女か?」
二人は後ろ姿だったが、当麻が征士を見間違えるはずがない。差しているのは、征士が朝持って行った傘だ。傘は、持っている征士より、一緒に入っている女性の方に幾分傾けられている。征士の反対の肩は濡れてしまっているのではないだろうか。そんな二人は秀が言った通り、仲睦まじい恋人同士に見えた。
「いや、………知らないけど」
当麻は口元に運ぼうとしていたドリンクバーのホットコーヒーが入ったカップを、コトン、とテーブルの上に置いた。目は外の二人を追ったままに。
「そういう話、聞かないのかよ。一緒に住んでて」
「ああ………うん。そうだな。聞いてない」
秀は知らない。
秀だけではない。伸も遼もナスティも、征士と当麻の同居は気の合う二人の単なるルームシェアだと思っている。二人の関係が、同性にもかかわらず恋愛感情を伴うものだということ。その事実を、一番の理解者であって欲しいし、ありたいと思ってくれているだろう仲間達にまだ打ち明けていないことは、いつも二人の気にかかっているところだった。しかしこれといって言い出すきっかけもなく、今に至ってしまっている。
「あれは彼女だろ。まぁいるよな、征士なら。彼女の一人や二人や三人。放っとかれねぇもんなぁ。チクショー」
茶化す秀のそんな声が、なんだか遠くに聞こえる。
顔も見えないのに、秀もいい加減なことを言うと思ったが、確かに顔は見えなくても、美しい人だろうと遠目に伝わってくる。
二人はそのまま歩いて、人ごみの向こうに見えなくなった。
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当麻は主に在宅で仕事をしているため、当麻が家にいて征士が仕事に出かけている日は、たいてい当麻が夕食を作る。でも今日の当麻は、どうにも料理をする気になれなかった。ソファの背もたれに完全に身体をあずけて、ため息をつく。
消化しきれない感情を、完全に持て余していた。
時計が時を刻む音だけが響く部屋で、当麻はただ考え続ける。
そもそも征士の気持ちが自分に向いていることが奇跡なのだ。それがいつの日か気持ちが離れ、別れることになるなんてことは、充分に予想の範囲内の出来事だ。女性と普通に恋愛した方が、征士は幸せなのに決まっている。自分さえさっさと諦めてしまえば、それでめでたく終わりなのだ。
当麻がそう思い込もうとすればするほど、思考は本人の望まない勝手な方向へぐるぐると巡り出す。変な意地を張らないで指輪をしていたら、こんな結果にはならなかったのか。征士がキスをくれるとき、もっと素直に嬉しい顔をしていれば。もらった傘を失くした時、俺、ちゃんと征士に謝ったっけ・・・・・・。取り返しのつかない小さなタラレバが次から次へと湧き出してきて止まらない。
「あきらめの悪い男………か」
子どもの頃から、願っても仕方のないことは、たくさんあきらめてきたはずなのに。
征士の傘の中にいた、あの女性の姿が目の前にちらつく。長い髪。小柄な身体に、ひらひらした紫色のワンピースを着ていた。細い足に、高いヒールの靴を履いて。
胸がざわざわして気持ちが悪い。当麻は左手で、シャツの胸のあたりをギュッとつかんだ。
その時、玄関から鍵を開ける音が聞こえた。
仕事帰りの征士を迎えることが、これほど憂鬱だったことはない。何と言って迎えたらいいのかもわからない。当麻は顔も上げず、ただ意識だけを、玄関から入ってくるだろうリビングの扉へ向けた。
「ただいま」
そんな当麻の沈みきった気持ちとは裏腹に、玄関からリビングまで聞こえてきた征士の声は明るかった。
「……ただいま」
征士はリビングの扉を開けて顔を覗かせると、ソファに座る当麻に、もう一度声をかけた。
当麻の頭の中には、昼間の光景がフラッシュバックする。そんなに嬉しそうに帰ってくるなんて、彼女とどんな良いことがあったのだろう。最低な気分に拍車がかかる。
「どうした?」
おかえりとも言わずに黙っている当麻の様子に、征士はようやく、いつもと違う何かを感じたらしい。征士を見もしない当麻を横目で見ながらリビングを横切り、自室に荷物と手早く脱いだ上着をを置くと、すぐにリビングに戻ってきた。
「飯は?」
「ない。食いたくない」
ネクタイを緩めながら、相変わらずソファに沈んで、身勝手かつそっけない返事をする当麻を、征士は軽いため息とともに正面から見下ろした。
「映画は楽しくなかったのか」
「別に。……面白かったけど」
覗き込む征士の視線から、当麻は顔を背けてふいと逃げる。
「そうか」
そう言って、征士はテーブルの上のテレビのリモコンを拾い上げると、電源を入れ、またリモコンをテーブルの上に放った。そのリモコンを当麻はすぐに取り上げて、テレビを消す。テレビの画面は明るくなる間もなく、プツン、と小さな音を立てて静かになった。
「一体、どうしたのだ」
征士はまたひとつ小さなため息をつく。
「どうもしない。お前こそ妙に嬉しそうじゃないか。何かあったのか」
昼間の彼女と、と続けようと思ったが、そこは言葉にならなかった。
「わかるか」
その声音から顔を見なくても、当麻には征士の浮き立った気持ちが伝わる。
「嬉しいことはあった」
「へぇ」
気のない返事を返して、やはり自分を見ようともしない当麻の顔の前に、征士は左手の甲を差し出して見せた。
「………あ」
「な」
征士の左手の薬指には、馴染みの指輪が鈍く輝いていた。当麻はやっと顔を上げた。
「指輪・・・・・・」
「やはり気づいていたのだな」
征士はキッチンに行って小さなケトルに水を入れ、火にかけた。冷蔵庫からコーヒー豆を取り出し、手回し式のミルを出してそれに入れると、カリカリと豆を挽く。芳ばしい香りが当麻の鼻に届く。
「失くしたと、早くお前に話せば良かったのだが、経緯が経緯だったので、なんとなく言い出しにくかったのだ。指輪は会社で失くしたのだが、今日隣のデスクの引き出しから出てきた。拾った人が・・・・・・おそらく掃除のおばさん辺りだろうが、気を利かせて一つ隣にしまってくれたらしい。滅多に開けない引き出しだったらしく、デスクの主が今日になってようやく見つけてくれた」
挽いた豆を、フィルターを敷いたドリッパーに移す。
「取引先の社長に見初められたらしくてな」
征士は当麻の顔を見て、苦笑する。
「男じゃないぞ。若い女性だ」
それが、あの女性か。
当麻はすぐに見当をつけたが、昼間、二人の姿を見たことは黙っていた。
「それでな。・・・・・・あれはちょうど一週間前か。課長に指輪をはずして営業に行くように言われたのだ」
コンロの火を止め、湧いたお湯を静かに注ぐ。
「そのような営業は不本意ではあるが、同期の開発の奴らの苦労も知っているからな。どうしても製品を見てもらえるところまではこぎつけたかった」
湯を注ぎ、湧きあがったコーヒーの粉が沈んで落ち着くのを、征士はじっと待つ。そして、また湯を注ぐ。
「自分のデスクで、外そうか、いや、独身であると嘘をつくことは、やはり人の道に反するのではないかと悩みに悩んで………」
「独身だろうが」
当麻がそこでようやく一言、可愛くない合いの手を入れた。征士はポットに出来上がったコーヒーを用意した二つのマグカップにそれぞれ注ぐと、それを持って当麻のもとに戻る。ソファの前の低いテーブルにカップを置くと、当麻の右隣の定位置に座った。
「独身ではないぞ。永遠の伴侶がここにいるのだから」
そう言うと征士は当麻の後ろに腕を回し、その肩をギュッと抱き寄せた。抱かれた肩に当麻が目をやれば、力のこもったその長い指には、見慣れた指輪がきちんと収まっている。
いつものことではあるが、さらりと、とんでもなく気障な台詞を吐く征士に、当麻は逃げ出したいような恥ずかしさと、ほっとする気持ちがないまぜになり、ほんの少しだけ泣きたくなる。
「で?」
それをごまかそうと、当麻は湯気の上がる目の前のカップを手に取った。
「お前にメールでもして伺いを立ててからとも思ったが」
征士は、そんな当麻の心中を知ってか知らずか、当麻のいる方とは反対の、空いている右の手を伸ばして当麻の左手に触れる。
「あまりにも指輪に固執していると、お前に笑われるかとも思ったりしてな」
そう言って笑う征士に当麻は笑い返すことはできず、自分の指輪のない左手を征士の右手に預けたまま、少し飲みにくそうに反対の手でコーヒーを一口飲んだ。
「それに、お前に聞いたらきっと、そんなことを悩んで無駄な時間を使ってないで、さっさと自分の仕事をしろと言われる気がしたのだ。で、覚悟して指輪を外したところで別の取引先から電話がかかってきてな。………それで、ほんの少し席を外しただけだったのに、戻ったら指輪がなかった」
征士は当麻の手を離すと、自分の左手の指輪にそっと触れ、優しい目でそれを眺めた。
「まぁ、そう言ったかもしれんな」
当麻も征士の指輪に目を遣った。
「デスクの上も下も散々探したが、こいつは出てこなかったのだ。それでまぁ、外したまま営業には行った」
「上手く行ったのか」
当麻は足をソファに上げて膝を抱えるようにすると、膝の上でカップを両手で包んだ。ふっと息を吹きかけて、立ち上がる湯気を飛ばす。
「上手くというのか……。指輪は結局のところ、どうでも良かったのだ。あの社長は初めから私の指輪には気づいていたのだそうだ。彼女は既婚者である私に興味があったらしい」
既婚者である、というところが強調されたその言葉に、当麻は眉間にしわを寄せた。
「何だよ、それ。趣味が悪いな」
ちびり、とまたコーヒーを一口飲み、カップをテーブルに戻す。
「本当だな。課長が勝手に私のケータイの番号を彼女に教えてしまったから、しょっちゅう電話はかかってくるし、まったく困ったことだった。しかしとりあえず、製品を見てもらうことはできることになったのだ。その前に一緒に食事をするということにはなってしまったが」
「それが今日だったワケか」
「………なぜ知っている」
征士は驚いて当麻を見た。
征士の指輪がなかった理由は分かった。何度もかかってきていた電話のわけも、その電話の相手らしいあの女性と会っていた経緯もわかった。なのにどういうわけか、胸の辺りがまだぐちゃぐちゃと気持ちの悪いままだった。当麻は抱えた膝に額をあてて、顔を隠したままつぶやく。
「見たからさ、昼間。相合傘のデートの真っ最中を」
ああ、と合点がいったという顔をして、征士はカップを取り一口飲んだ。それから、にわかにしかつめらしい表情を作る。
「そうだ。お前こそ、デートの最中だっただろう。あれは誰だ」
「え?」
今度は当麻が驚いて顔を上げた。
「指輪が出てきたのに安心して、あやうく忘れてしまうところだった。お前があの店で一緒にいた男だ。お前こそ、やたらといい顔で、その男に微笑んでいたな。あれは一体誰なのだ」
征士はカップをテーブルに置き、憮然とした顔のまま腕を組んだ。
「見ていたのか。窓際だったとは言え、よくわかったな」
「どこにいたって私がお前に気づかない訳がない。よっぽどあれが私の伴侶だと、彼女に教えてやろうかと思ったんだが・・・・・・。あんな顔をして、他の男とデートしているところではな」
征士の渋面と裏腹に、当麻の表情は少しずつ楽しいそれに変わる。
「ありゃ秀だ、秀」
「秀!?」
驚いた征士と、してやったりな顔の当麻。目が合って、そして、同時に吹き出す。とても秀には見えなかった。そうだろう、あれは秀の彼女がな・・・・・・とひとしきり、今日の秀の人騒がせなスタイルについて、笑いながら話は続いた。
「しかし」
すっかり笑顔に戻った征士が、話を区切る。
「お前が妬いてくれるとは、嬉しいな」
「妬いてる?」
当麻は垂れた目を丸くして征士を見た。その意外な反応に征士は当麻の顔を覗き込む。
「違うのか?」
「妬いてるのか、俺は。・・・・・・なるほど、そうか。やきもちか。・・・・・・そんな感情が俺にもあるんだな」
他のことなら何でも強気に挑戦していくことができるのに、友情だの恋だの愛だののことになると、失いそうになった途端に一線を引いて、自分から諦めてしまっていたのだ。それでも自分を愛して欲しい。あの人でなく、自分の方を向いて欲しい。そう思わなければ、嫉妬は生まれない。
嫉妬だったのか。あの気持ちの悪いざわざわは。名前がつけば、少し気持ちが楽になる。
「私など、いつも嫉妬している。お前のせいで・・・・・・」
征士はそっと顔を寄せ、ついばむように二、三度口づける。
「私は男にも女にも、親友にさえ嫉妬しなくてはならない。まったく、秀にまでやきもちを焼かなくてはならんとはな。面倒なことになったものだ」
「ごくろーさまです」
当麻が笑う。征士はほっとため息をついて座りなおすと、当麻の肩を抱き、耳元にそっと囁いた。
「当麻、お前は独身か?」
「………No」
なぜか英語でそう答えて、当麻は征士の肩に頭を寄せた。
指輪なんかしていなくても、伴侶なのだ。
でもその形となった永遠の約束に、時にはこうして一喜一憂させられるのもいいかもしれない。
たまには指輪もしてみるか。
「ところで当麻、腹は本当に減らないのか」
「ん? あ。そう言えば」
いいタイミングで当麻の胃が空腹の悲鳴を上げる。
行きつけの安い食堂へ行こう。
征士の左手に、当麻の右手をつないで。
おわり
**********
お題は「当麻が嫉妬する話」でしたv
「いい夫婦の日」も少し意識したので、このタイトルで(笑 uさんありがとー)
現在11月22日33時なのです。
そうなのです!
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