たいいくのひ
since November 22th 2012
【068】HONEY
8月3日、ハチミツの日にふと浮かんだ日常。
緑青。ですたぶん(笑)。
エアコンをつける時はカーテンを閉めよう。
ポニーテールで年齢不詳の電力会社のCMキャラクターが笑顔で繰り返すセリフに律儀に従い、当麻がエアコンのリモコンのボタンを押すと、征士がすかさず薄いブルーのカーテンを引く。
「朝からミンミンジージー騒がしいことだ。まったく東京の蝉は品がない」
窓ガラスとカーテンで遮断しても、蝉時雨はマンションの十二階までジワジワと登ってくる。
しかし蒸し蒸しとした室内の空気は少しずつ人工的な爽やかさに置き換えられていく。
「仙台の蝉は、もっと礼節をわきまえてるってか? まぁ確かに今年は去年より、一層うるさい気はするな」
当麻は、起きたままの飾り気のない白いTシャツに赤い縦縞のトランクスという実に夏らしい出で立ちで、ソファの上にダラリと垂れている。
その視線の先は同居人の無駄に整った横顔でも、真夏日連続記録更新中の窓の外でもなく、休日の午前中にダラダラと続くテレビのバラエティ番組だ。
「うお」
感嘆の声につられて、征士もテレビ画面に目を遣る。
当麻の注目の的であるそれは、黄金色に輝く厚切りのフレンチトースト。
ほかほかと湯気が立ち上がるそこに細く長く、たらりたらりと蜂蜜がかけられる。
「暑苦しいな」
「美味そうだな!」
顔を見合わせ、否定と肯定の台詞が二つの口から同時に放たれる。
どちらがどちらの台詞かは言わずもがな。
「食べに行くか?」
一瞬置いて続けた征士の言葉が笑いを含んでいるのは、テレビ画面の隅の、時刻とは反対側に置かれたコーナーのタイトルに「ハチミツの日 絶品 神戸のハニースイーツ」とあったから。
そして、つい昨日もテレビで見たトマトラーメンが食べたくて、わざわざ隣県まで行くという当麻に運転手で付き合ったばかりだったからだ。
「神戸じゃなあ……」
当麻はそう呟くと、腕を頭の後ろに組んで目を瞑る。
しばらくそうして考えた後、ぱちりと目を開くと征士を見て、ニッと笑う。
「作りますか!」
「ほう」
「昨日もな、トマトラーメン食べて思ったんだ。俺が食べたかったのは、テレビの情報から俺が頭の中で構築したトマトラーメンであって、実在のトマトラーメンとはかなり違うものだった。あれはあれで悪くはなかったがな」
「私はむしろ好みだったぞ。食べる前にはどのような味のするものか想像できなかったが」
「そう。むしろ想像できない方が、想像と現実のギャップがなくていいのかもしれん。しかし俺は想像力が豊かだからな。今日の神戸のフレンチトーストも、おそらくこのような香りで歯触りで味であろうという詳細な予想をしてしまう」
「それで?」
「わざわざ神戸まで出かけてギャップにがっかりするよりも、俺の想像のフレンチトーストを俺が再現した方が、結果的に満足がいくんじゃないかと思ってさ」
部屋はようやく適度に涼しくなった。
しかし当麻は出かけるつもりらしい。
部屋に行ったかと思うと、五分丈のベージュのズボンをはき、水色のストライプのシャツに袖を通しながら戻って来た。
「出かけるのか」
「おう。最高のフレンチトースト作るためには、ウチにある残った食パンと雪印の牛乳じゃ役者不足だろ。ここはひとつ、デパ地下スーパーにでも行かないとな」
何の曲だかよくわからない鼻歌を歌いながらシャツのボタンを留める当麻を征士が呆れ顔で眺めていると、当麻が眉間にシワを寄せる。
「何やってんだよ。支度しろよ、支度!」
「車で行くのか?」
「アホ。お前は俺の運転手か? バスで新宿に行こう。デートだ、デート」
「デート、ね」
「新宿デパ地下じゃ、不服か?」
「いいや」
ベースのパンが大事だよなー、いっそのこと、自分でパンから仕込むか。
そんなことを呟きながら、当麻はすでに玄関で靴を履いている。
もしかすると神戸に行った方が早いのではないだろうか。
しかしそうではないのだというようなことを、この男はさっき言っていたような気がするので、征士はそれは言わないことにした。
その後にたまらなく甘いものの試食が待っていると思うと多少憂鬱ではあるが、まぁ存分にデートとやらを楽しませていただこう。
戸締りを確認しに、征士は部屋を回る。
当麻はとうにドアの外だ。
蝉の声がまた一段と大きく聞こえてきた。
おわり
緑青。ですたぶん(笑)。
エアコンをつける時はカーテンを閉めよう。
ポニーテールで年齢不詳の電力会社のCMキャラクターが笑顔で繰り返すセリフに律儀に従い、当麻がエアコンのリモコンのボタンを押すと、征士がすかさず薄いブルーのカーテンを引く。
「朝からミンミンジージー騒がしいことだ。まったく東京の蝉は品がない」
窓ガラスとカーテンで遮断しても、蝉時雨はマンションの十二階までジワジワと登ってくる。
しかし蒸し蒸しとした室内の空気は少しずつ人工的な爽やかさに置き換えられていく。
「仙台の蝉は、もっと礼節をわきまえてるってか? まぁ確かに今年は去年より、一層うるさい気はするな」
当麻は、起きたままの飾り気のない白いTシャツに赤い縦縞のトランクスという実に夏らしい出で立ちで、ソファの上にダラリと垂れている。
その視線の先は同居人の無駄に整った横顔でも、真夏日連続記録更新中の窓の外でもなく、休日の午前中にダラダラと続くテレビのバラエティ番組だ。
「うお」
感嘆の声につられて、征士もテレビ画面に目を遣る。
当麻の注目の的であるそれは、黄金色に輝く厚切りのフレンチトースト。
ほかほかと湯気が立ち上がるそこに細く長く、たらりたらりと蜂蜜がかけられる。
「暑苦しいな」
「美味そうだな!」
顔を見合わせ、否定と肯定の台詞が二つの口から同時に放たれる。
どちらがどちらの台詞かは言わずもがな。
「食べに行くか?」
一瞬置いて続けた征士の言葉が笑いを含んでいるのは、テレビ画面の隅の、時刻とは反対側に置かれたコーナーのタイトルに「ハチミツの日 絶品 神戸のハニースイーツ」とあったから。
そして、つい昨日もテレビで見たトマトラーメンが食べたくて、わざわざ隣県まで行くという当麻に運転手で付き合ったばかりだったからだ。
「神戸じゃなあ……」
当麻はそう呟くと、腕を頭の後ろに組んで目を瞑る。
しばらくそうして考えた後、ぱちりと目を開くと征士を見て、ニッと笑う。
「作りますか!」
「ほう」
「昨日もな、トマトラーメン食べて思ったんだ。俺が食べたかったのは、テレビの情報から俺が頭の中で構築したトマトラーメンであって、実在のトマトラーメンとはかなり違うものだった。あれはあれで悪くはなかったがな」
「私はむしろ好みだったぞ。食べる前にはどのような味のするものか想像できなかったが」
「そう。むしろ想像できない方が、想像と現実のギャップがなくていいのかもしれん。しかし俺は想像力が豊かだからな。今日の神戸のフレンチトーストも、おそらくこのような香りで歯触りで味であろうという詳細な予想をしてしまう」
「それで?」
「わざわざ神戸まで出かけてギャップにがっかりするよりも、俺の想像のフレンチトーストを俺が再現した方が、結果的に満足がいくんじゃないかと思ってさ」
部屋はようやく適度に涼しくなった。
しかし当麻は出かけるつもりらしい。
部屋に行ったかと思うと、五分丈のベージュのズボンをはき、水色のストライプのシャツに袖を通しながら戻って来た。
「出かけるのか」
「おう。最高のフレンチトースト作るためには、ウチにある残った食パンと雪印の牛乳じゃ役者不足だろ。ここはひとつ、デパ地下スーパーにでも行かないとな」
何の曲だかよくわからない鼻歌を歌いながらシャツのボタンを留める当麻を征士が呆れ顔で眺めていると、当麻が眉間にシワを寄せる。
「何やってんだよ。支度しろよ、支度!」
「車で行くのか?」
「アホ。お前は俺の運転手か? バスで新宿に行こう。デートだ、デート」
「デート、ね」
「新宿デパ地下じゃ、不服か?」
「いいや」
ベースのパンが大事だよなー、いっそのこと、自分でパンから仕込むか。
そんなことを呟きながら、当麻はすでに玄関で靴を履いている。
もしかすると神戸に行った方が早いのではないだろうか。
しかしそうではないのだというようなことを、この男はさっき言っていたような気がするので、征士はそれは言わないことにした。
その後にたまらなく甘いものの試食が待っていると思うと多少憂鬱ではあるが、まぁ存分にデートとやらを楽しませていただこう。
戸締りを確認しに、征士は部屋を回る。
当麻はとうにドアの外だ。
蝉の声がまた一段と大きく聞こえてきた。
おわり
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