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【030】名前を呼んで

エイプリルフールと桜と征士さんと当麻。
緑青です。

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「おはよー」

ダイニングの窓から遥か下に見下ろす通りの桜並木は見事に咲き誇っている。
征士はいつものようにすっかり身支度を整え、壁に掛けたカレンダーを眺めている。
少しだけ書き込みのある、新しい一枚。
世の中は新しい一年の始まりだ。

とは言っても今日は日曜日。
俺も征士も仕事は休み。
花曇りの朝の九時。
俺にしては早い休日の起床だった。

「おはよう」

征士がこちらを向いて朝の挨拶を返す。
そうして1、2、3秒間、俺の顔をジッと見つめると、くるりと踵を返してシンクに向かう。

「飯にするぞ」

と、背中で言う。

何か、変なの。
俺は一度着替えに部屋に戻った。
パジャマ代わりのスエットを脱ぎながら、今しがたの征士の様子を反芻する。
感じた違和感が一体何だったのだろうかと考える。

ちょっと素っ気なかった?
いつもなら…………。

「おはよう、当麻」

そう言う時の、口の端があと1.2mmくらい上がっている気がする。
そして、それにハグやキスがついてくることもしょっちゅうだ。
一緒に暮らし始めて何年経ったのか。
年を経ても、その頻度は一向に減る様子はない。

まあ俺に比べると安定しているとはいえ、征士だっていつもいつも上機嫌なわけではないだろうし、キスやハグも別に必ず毎朝というわけではないし。

今年初めて袖を通す、春物の花のプリントの淡いピンクのシャツをTシャツの上からはおって、また征士の待つダイニングに戻る。

征士はテーブルに何品かのおかずを並べているところだった。
俺は食器かごから二人の茶碗とお椀を出し、炊飯器から炊きたてのご飯を茶碗によそう。
よそいながら、ちらりと征士の様子を伺う。
別段機嫌が悪いというわけでもないようだ。

「春だな…………」

征士は俺のシャツを見てそう言いながら、席につく。
俺は湯気の上がる味噌汁を二人分、それぞれの席におくと、

「いただきます」

と手を合わせ食べ始めた。
征士も黙々と食べている。

やっぱり変だ。
いつもなら。

「春だな。当麻、よく似合っている」

とか、

「春だな。可愛いではないか、当麻」

とか。

別に言って欲しいってわけじゃないんだけど、と思う。
だけど。
調子が狂う。
何か怒らせるようなことをしただろうか。

昨日の夜は。
アジの開きをつつきながら、通常運営だったよな、と思い出す。
いや、夕べはむしろいつもよりちょっと余計に、普段はしないサービスまでした気もする。
春のせいだろうか、何だかそんな気分だったから…………。

やべ。

あんなコトや、こんなコトを生々しく思い出してしまう。
目の前の征士は悔しいくらい淡々とご飯を口に運んでいるというのに。

箸を止め、窓の外を見やる。
何か違うことを考えよう。

いくらか風があるようで、桜が散りはじめている。

「今日から四月なんだな」

何気なく口にすると、正面の征士が俺の顔を見る。

「ん?」

「いや、何でもない」

征士は楽しくも、楽しくなくもないという顔で、また箸を動かす。

やっぱり、変だ。

食べ終わったので食器を洗う。
その後ろを、掃除をしている征士が幾度か通る。
そんなときはたいてい後ろから抱きついてきたりして、俺が邪魔だって言っても、

「愛してる、当麻」

とか、

「当麻、好きだ」

とか言うのになぁと、またそんなことを考えてしまう。

片づけ終わってソファに沈み、テレビをつける。
征士はまだ掃除機をかけている。
テレビの画面ではなく、征士を目で追ってしまう。

テレビはエイプリルフールの話題で、出演する芸能人が自分の体験か何かを話しているようだ。

そう言えば四月一日だ。
いつもなら征士を騙す楽しい何かを考えたりするのに、今年は何だかそんな気も失せた。

愛してる。
好きだ。
可愛い当麻。

歯の浮くような征士の台詞。
そんな征士の言葉なんて空気みたいなもので、改めて嬉しいなんて思ったりしてないはずだった。
なのにそれがないだけで、こんなに気分が落ち込むなんて。

そして、わかった。
もうひとつ。
今日は一度も名前を呼ばれていないんだ。

「おはよう、当麻」

「春だな、当麻」

いつもなら何度だって、俺の名前を呼んでくれるのに。

どうして今日は呼んでくれないんだよ。
当麻って。
呼んでよ、征士。
空気なんだ。
呼んでくれなきゃ息ができない…。

考えているうちに、春だからだろうか、そのままウトウトしてしまった。



「当麻、起きろ」

いつもの優しい恋人の声に目を覚ます。

「もう昼飯だ、当麻。花見がてら外に出かけないか?」

時計を見ると十二時半。

「今、呼んだか? 俺の名前!」

「呼んだ…か?」

「征士ー!」

なんだかものすごく嬉しくなって、征士の首に抱きついた。
その勢いで征士は二、三歩後ろに下がる。

「どうしたんだ? 当麻?」

「だって征士、朝から俺のこと呼んでくれなかっただろう? 何を怒ってたんだよ」

「怒ってた? 私が?」

「いや、怒ってるわけでもなさそうだったけど…じゃあ何だったんだよ」

征士の首に腕を回したまま顔をあげて、間近から覗き込む。

「ああ。今日はエイプリルフールだろう?」

「ああ」

「いつものように愛しているとか、当麻のことが好きだとか、口に出すと嘘になってしまうような気がして…………自粛していた」

そう言った征士は、珍しく少し照れているように見える。

「何だよ、それー!」

ホッとして、もう一度征士に抱きついた。
今度は征士も俺の背中を抱き返してくれる。

「気づいていたのか? 当麻」

「ああ。名前も呼んでくれないんだからな。…………淋しかったんだぞ。でも、もういいのか?エイプリルフールは」

「ああ。午前中が嘘をつく時間で、午後は種明かしの時間だそうだ。さっきお前のつけたテレビで言っていたのだぞ。そうか。あの時はもう寝ていたのだな」

征士がふふ、と笑う。
いつもの征士だ。

マンションのエントランスを出るとそこはもう桜並木。
ここを通り抜けた先の、開店したばかりのリストランテへ行くことにして。

「青い空でなくて残念だな」

「うん。ちょっと肌寒いな」

手を繋いだりはしないけれど、肩を寄せて歩く。

「それにしても」

「ん?」

「愛してると言わないようにとは思っていたが、名前を呼んでいないとは気づかなかったな」

「そうなのか? 俺は名前を呼ばれないのが一番応えたんだがな」

少し拗ねた声を出してみる。

「思うに」

風が吹く。
ふわりと降ってくる桜の花びらを片手に受けながら、征士は続けた。

「お前の名を呼ぶことは、お前に好きだと伝えることと同じなのかもしれないな」

「え!?」

「うん。そうだな。きっとそうなのだ。当麻、と呼んでいるときは、愛していると言っていると翻訳して聞いてもらって構わない」

なんと返したらいいのかわからないので、俺は笑った。
相変わらずキザな男だ。
でもそんな台詞も征士なら似合ってしまう、なんて思う俺はどうかしているのか。

「当麻」

「ん?」

「当麻」

「うん」

「当麻」

「もうわかったよ!」

もったいなかったかな。
本当は、もっともっと呼んで欲しいけど。

お目当てのリストランテが見えてきた。

「征士」

今度は俺が征士を呼ぶ。

「なんだ?」

「腹へった!」

征士が声をたてて笑う。
俺は征士の手を引っ張ってリストランテへ走った。



おわり


**********


今朝のtwitterでの征当萌え話で、
征士さんが「愛してる」を封印してしまって
不安になる可愛い当麻ちゃんっていう話題が出て。

そう言えばウチはそんなに可愛い当麻ちゃんでもなかったんですけどね(笑)。
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